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最近の変化

最近レッスンで過度に緊張することがなくなった。
多少はドキドキして深呼吸必須だけど、手の震えが止まらなくて弾き始められないとか、頭が真っ白になってどこをどう弾いたのか覚えていない、というようなことはない。

思い当たる理由はいくつかある。

すぐにレッスンに入らず、アイスブレイクに付き合っていただけるのはそのひとつだ。
ともかく緊張しいなので雑談はとてもありがたい。
いくら先生が優しい方だとわかっていても、レッスンというのは気後れするものだし、いきなり「さぁ、弾いて」と言われたら、それは難しい。
場に慣れる時間が必要だ。
それに、先生のいろいろなお話をお聞きするのは楽しいし、すごく癒しになってる。

完璧を目指さなくなった、というのもある。
家での練習で今の自分にできる完全な形にしておくのが当然、ってずっと思っていたけど、もちろんそんなことは無理だし、求められてもいないということがやっとわかった。
完璧主義な性格って成長にはあまり結びつかない。
継続できるとか、面白がれるとか、そういうことのほうが大事な気がする。
いまは「課題を見つけておく」みたいな練習の仕方をしている。
上手く弾けないところ、しっくりこないところがないか調べる感じ。
それを持ってレッスンに行く。
…というか、レッスンってそういうものだったんだろうね、私が知らなかっただけで。

上手く弾けないときに、上手く弾けないことを許すことも大事だ。
前は少しのミスで大パニックになっていたけど、最近は「今日、指の調子悪いかも」と冷静に観察できるようになった。
そしてそれを先生に伝えられるようになった。
そんなのは言い訳かなー、と思う。
でも、弾けない理由の切り分けじゃないのかな、とも思う。

先生のピアノの鍵盤は重い、と思い込んでいたけど、それは自分の調子によるんだ、ってことにも気づいた。
最初軽く感じても途中で激重になったり、逆もあったり。
鍵盤の重さがなんとなく自分の調子のバロメータになる。

一曲目を弾き始めるときは、おずおずとピアノのご機嫌をうかがう。
「どうでしょうか、今日も仲良くしていただけますでしょうか」
ピアノは先生と同じくとても寛容なので、だいたい「はいどうぞ」というオーラだ。
「よろしく~」と弾き続けられればいいけど、そんなわけもなく。
むしろ上手くいかないことのほうが多い。
でも、そういう一切合切がとても楽しく嬉しいことだ、というのは毎回感じている。
それが幸せだということも。



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