実力のちょっと上
次の課題の負荷が少ないので、弾いてみたかった曲を自主練している。
平吉毅州「想い出」
チャイコフスキー「古いフランスの歌」
あと、プレ・インヴェンション。
何か月か前にも一度チャレンジしてみたのだけど、そのときは全然歯が立たなかった。
たどたどしく弾くことはできるけど、曲の形にならない。
時間がかかるわりに一向に進まず疲れる。
取り組むのはまだ早いってことか、とがっかりして撤退した。
その頃、先生に言われたことがある。
「いしいさんは今だって弾こうと思えばどんな曲でも弾けると思いますよ、楽譜が読めるんですから」
なぜその言葉が先生から出たのか、いきさつが全然思い出せない。
実力に見合わない曲を弾きたいと言ったのかもしれないし(言わないと思うけど、それも覚えていない)、全然別の文脈だったかもしれない。
その言葉が印象に残っているのは、先生がそのあと「でも」と続けたからだった。
でも、のあとの言葉が、本当に言いたいことではなかったんじゃないかなーという感じがしたので、すごく覚えているのだ。
でも、のあと、ソフトに「段階を踏んで練習していくのがいい」というようなことをおっしゃったと思う。
でも、本当に続けたかったのはそれじゃなかったような気がする。
その言葉じゃないよな、という印象だけが強く残っているけど、そのもやもやした気分とともに、ともかく相応しいレベルで弾く曲ってあるんだな、ということだけは刻み込まれた。
だから、弾きたい曲をどんどん弾いてみればいい、それは実力になりこそすれ邪魔にはならないから、というアドバイスもいただいたことがあったけど、それも事実だと思うけど、先生の指示以外の曲を弾くなんて、という思いが強くて、チャレンジしようなんて本当に最近までこれっぽっちも考えなかった。
それをなぜいまやろうと思ったのかというと、たんに負荷が少なくてちょっと暇に感じる、というのと、たぶん今ならレベルに合うだろうと思ったというそれだけ。
改めて練習しても決してスムースに弾けるわけではないけど、あの頃と確実に違うのは、どういうふうに練習すればいいのか分かるということ。
これは先生のおかげさまなのだけど、「こういうふうにするといいですよ」という蓄積が、ようやく小さく芽を吹いてきた実感がある。
そして、頑張れば弾けそうだなと楽観的に考えられるのもあの頃と違う。
現に数日練習すると形になっていく。
やはり私にとっては、無理して背伸びをするよりも「実力と同じかちょっと上」というレベルの曲にチャレンジするのが、精神衛生上いちばんいいみたいだ。