わたし
娘がまだウチにいたとき、私は自分のことを「お母さん」と言うことが多かった。
息子は私のことを「母ちゃん」と呼ぶので、それに合わせて「母ちゃん」と言うこともあったけど、基本的に「お母さんは」と言っていた。
家族の中心は子どもだった。
それが夫婦の家庭もあるだろうし、全員が中心にいる、とうこともある。
自分の意識としては、子どもが巣立つまでは子どもが中心であるべき、と思っていた。
だから呼び方も子ども目線で当然だった。
子どもにとっての私は「お母さん」であるし、あなたの母親である私はこう思う、という表明なので、やはり「お母さん」と自分を呼称するのが自然だった。
「〇〇ちゃんのお母さん」呼びも全然平気。
嫌う人もいるけど、子どもを通してお付き合いがあるのだから、属性で呼ばれても何も不都合ではないし、むしろそう呼ばれたい。
「〇〇ちゃんのお母さん」のガードの強さ。
そういった役割の呼称が割と好きだった。
本当の自分なんてそんなに表に出したくないし、役割に沿った回答なんて、いくらでも出てくるし、楽だし。
そんな自分だが、娘が家を出てからは意識的に「わたし」と言うようにしている。場面によっては、特に家人との相対的な呼び名として「お母さんは」と言う場面もなくはないけど、基本的に「わたし」以外を使わないようにしている。
家族全員が大人になって、家族のことで私が何かを決断するという場面はほぼない。
親の役割は8割くらい脱いでいる。
妻の役割は跡形もない。
家族という枠の中にいるけれど、親と子、兄弟、というより、大人の緩い集合体になりたい。
私は「わたし」として生活していく。
配偶者や母親としての役割を降りたいのと同時に、大人同士なのだから、「お母さん」としての回答ではない、私の言葉を使いたい。
「わたし」を使うことは私を取り戻す第一歩。
そうやって、ゆっくりと集合体からも切り離されていきたい。
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