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すみだ今昔さんぽ 第7回
2022年も、墨田区のディープな魅力を一人でも多くの方にお伝え出来るよう精一杯努めます!まずは前回の続きから。
東から西へ
在原業平の故事から時を下ること数百年の治承四(1180)年8月、いわゆる「源平」の争いの一つである石橋山の戦いに敗れた源頼朝(1147-1199)は、安房国(現在の千葉県南部)へと敗走します。
平氏方3000騎に対して、源氏方わずか300騎!奮闘するも多勢に無勢、大敗を喫します。
命からがら、なんと現在の神奈川県真鶴から千葉県安房郡鋸南町へ、海路で逃亡したってんだから驚きであります。
今回はいきなり墨田区を飛び出して相模湾の地図からスタートしておりますが、ちゃんと戻って来るのでご安心を。
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再起を計る頼朝は、地方の有力な豪族を傘下に取り入れながら安房国・上総国・下総国と現在の房総半島を縦断。敗戦からわずかニヶ月後の同治承四年10月、武蔵国へ入らんと隅田川のほとりにたどり着きます。
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何としても国境である隅田川を東岸から西岸へ渡河し、勢いそのままに武蔵国を進軍、平氏に一矢報いたい頼朝。
一時は西岸の最大勢力の一つであった秩父氏の反発を受けるものの、長い交渉の末、遂に渡河の許しを得ることに成功するのであります。その後の彼の活躍ぶりは皆様ご存知の通り。果たして日本は“いい国“になれたでしょうか?
ここでおさらいですが、前回の記事にも書いたように在原業平と源頼朝が隅田川を渡ったのは、現在白鬚橋が架かっている辺り。業平は西岸から、頼朝は東岸から、数百年の時を隔てているにも関わらず同じ箇所を渡ったのであります。
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白髭橋が架橋される(1914年)以前に同地に存在した橋場の渡し。その名称は今回取り上げた頼朝の渡河に由来している、という説がございます。
平氏に一矢に報いる為に、安房国を起点に房総半島をものすごいスピードで進軍して参りました頼朝軍。その数万の軍勢を渡河させる為にいちいち渡し船を往復させていたのでは、いつまで経っても先に進むことが出来ません。
業平の場合とは、まるで桁が違います。さあどうやって渡ろうか?
まさに「信じるか信じないかはアナタ次第」ですが、なんと頼朝は水面におびただしい数の船を一列に配置させます。そして即席の浮き橋を作らせ、その上を進軍させたというのです。
何だか「因幡の白兎」みたいなお話ですな。
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「源氏のブランド力」の為せる業なのか、または「平氏へのライバル心」が原動力となったのかは定かではありませんが、敗戦からわずか二ヶ月の内に房総半島を縦断してここまでやって来たわけですから、やはり源頼朝という御仁は只者ではありませんな。叶うならば、現在の隅田川に架かる美しい橋梁群を見せてあげたいもんです。
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200円の、贅沢
さてさてここまで書いといて、当の私が「渡し船に乗ったことがない」ってのは何とも決まりが悪いもんです。鐘楼堂の記事を書いた時も実際に上野のお山まで鐘撞きを見に行ったんですから、今回は是が非でも渡し船を体験してみたいところ。
残念ながら、往時に隅田川両岸に存在した多くの渡し場は、新しい橋が架かる度に次々と廃止されてしまい、一般人が利用出来るものは現存しておりません。
しかし!「“すみだ“今昔さんぽ」はより良い記事の為なら何処へでも参ります!
てことでやって来たのはお隣、葛飾区。
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チャ〜チャララララララララ〜♫
私、生まれも育ちも葛飾柴又...
はおろか東京都ですらございません。しかし、ここ柴又を歩いているだけで何だか懐かしい心持ちになって参ります。目的地は、地図上に既に見えております「矢切の渡し」。
矢切の渡し
江戸時代初期、幕府により設けられた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちの一つ。都内に現存する唯一の渡し場として、江戸川を挟んで千葉県松戸市下矢切と東京都葛飾区柴又を結んでいる。元来観光用に設けられたものではないが、同名歌謡曲のヒットや、小説の舞台となった事により現在でも多くの観光客が訪れている。
目的地に到着しました。
乗船料は...200円!? こりゃ安い。味のある桟橋と言い、この渡し場の風情ったらあなた。
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ちょうど、対岸の千葉県側から船がやって来ました。代金を支払い、いざ乗船!...っと、他に乗客がいないって事はお一人様?こりゃ贅沢だ。
恐縮しつつも、特等席に陣取ります。いやあ風が気持ちいい!
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西岸が柴又という事もあり、やはり「寅さん」の話題は大変面白く勉強になる事ばかり。船頭さんのお話に耳を傾けていたら、あっという間に東岸に到着です。せっかくなので復路もお願いする事に。
往復でも400円ですからね!
前述のように、隅田川沿岸にはもう渡し場は残っておりません。今我々が横切っているのは、江戸川でございます。
「ここをずーーっと海の方に下ってくと、夢の国があるんだよ。」
「夢の国?...ああ本当だ!!」
※ディ○○ーランドの事です。
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「もうこのまんま夢の国まで行っちゃってもいいんだけどねえ。」
「うーん、また今度お願いします(笑)!」
とっても愉快な船頭さんでした。
人生で初めて乗った渡し船、想像していたよりもずっと乗り心地がよくて不安に感じる事はありませんでした。こりゃもしかすると、上手く繋ぎさえすりゃあ本当に浮き橋が作れるんでは?
そう思える程に快適で楽しい体験でした。ありがとうございました!
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いい〇〇
そういや私が子どもの時分には「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」と覚えたもんですが、何年前からかその年号は「いい箱(1185)作ろう〜」に変わったそうで。まあ何れにせよ「いい胸毛(1167)」「苺パンツ(1582)」「イヤー降参(1853)」みたいなレジェンド達に比べりゃ随分と可愛いもんですな。
我々音楽業界の人間はライブ会場、スタジオ、ホールの事を「ハコ」って呼ぶんです。面白いでしょう? 錦糸町にもすみだトリフォニーホールっていう「いいハコ」があるんで、機会があれば是非足をハコんでくださいな。
出展:東京時層地図 ©︎一般財団法人日本地図センター、地理院地図©︎国土地理院を加工して作成
ライター紹介♪
原田遼太郎
(はらだりょうたろう/コントラバス奏者)
福岡県福岡市出身。12歳よりコントラバスを始める。東京藝術大学音楽学部器楽科及び同大学院音楽研究科を修了。大学院修了後さらなる研鑽を積むべく渡独、ヴュルツブルク音楽大学にて学ぶ。在学中、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の研修生としてドイツ各地で行われた公演及び録音に参加。これまでにソリストとして、ロベルト・HP・プラッツ指揮ヴュルツブルク音楽大学オーケストラ、井上道義指揮オーケストラ・アンサンブル・金沢及び飯森範親指揮九州交響楽団と共演。これまでにコントラバスを吉浦勝喜、永島義男及び文屋充徳の各氏に師事。また、室内楽を小林道夫及びヴォルフガング・ニュスラインの両氏に師事。2021年より新日本フィルハーモニー交響楽団コントラバス奏者。
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