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【集中連載「新ウィーン楽派」(2)】新ウィーン楽派の「大師匠」シェーンベルク

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。2月前半は3月定期演奏会で取り上げられる「新ウィーン楽派」特集です。第2回の今回は新ウィーン楽派の代表的作曲家シェーンベルクを中心としたおはなし。シェーンベルクたちが音楽で描きたかったものとは?それをオトの楽園的視点で紐解きます!もしかしたら「現代音楽」の聴き方が変わるかもしれません。

シェーンベルク≒立川談志??


前回に引き続き「新ウィーン楽派」の作曲家たちについて綴っていきたい。

新ウィーン楽派の「大師匠」と位置付けられるのがアルノルト・シェーンベルク。彼の登場と生涯の作風の変遷がまさに「音楽史」そのものだと僕は思っている。「クラシック音楽」という枠組みに新風をもたらした人物、これまでの伝統を破ろうとし、新しいクラシック音楽を作り出すことに挑戦した「異端児」…落語界に例えるなら立川談志のような存在かもしれない。

談志は「古典落語をやっているだけでは落語はいずれ滅びる」と危機感を抱いていた。その点ではシェーンベルクたちとの親和性を感じる。

「クラシック音楽」という伝統芸能のなかにある時期に生まれた「新しい流派」が「新ウィーン楽派」、それは江戸落語の世界における立川流落語のようなものであったと考えれば、少し新ウィーン楽派の存在を身近に感じられるだろうか。

談志師匠が柳家小さん師匠に弟子入りし、正統派の落語を名人から習得したように、シェーンベルクも伝統的なクラシック音楽を学び、当時の音楽界を二分していた「ワーグナー」と「ブラームス」の薫陶、影響を受けた。またツェムリンスキーに作曲を師事した。ツェムリンスキーはオーストリアの作曲家だが、ウィーン音楽院で学び、コルンゴルトなどに作曲や音楽理論を教えていた人物、彼がシェーンベルクの「唯一の師匠」である。

ツェムリンスキー

ドイツ正統派クラシック音楽、ツェムリンスキーとの出会い・・・そしてマーラー

ツェムリンスキーについて語る上で押さえておきたいのが、のちにグスタフ・マーラーの妻となるアルマとの交際だ。アルマに作曲を教えていたツェムリンスキーは彼女と恋愛関係となり互いに慕い合うが結局は破局。その後アルマはマーラーと結婚した。そのような微妙な交友関係ではあったものの、ツェムリンスキーとともにマーラー家を訪れて音楽論を戦わせたりした経験は、シェーンベルクの音楽人生にとって重要な体験であっただろう。ツェムリンスキーの影響で、それまでブラームスの音楽に傾倒していたシェーンベルクはワーグナーの音楽にも多大な影響を受けることになる。どちらにしてもクラシック音楽の流派には変わりない。今までパ・リーグの野球ばかりにハマっていた野球ファンが、セ・リーグの野球にも興味を持ったのだと考えたら健全な行動だ。それは「野球」が好きだという共通項で括られる。それと同様に「音楽は音楽」なのだ。

アルマ・マーラー

シェーンベルクは音楽院で音楽を学んだりすることはなかった。つまり「独学」である。靴屋であった実家の経済的事情もあり、シェーンベルクは銀行に就職して、夜間に音楽の勉強をした。このエピソードを知ったとき、僕は昭和の作曲家古関裕而を思い出した。彼もまた作曲は独学、伯父の銀行に就職しながら作曲の勉強を続けた。その点については古関裕而は「日本のシェーンベルク」のような音楽遍歴を持っている。とはいえ作風や位置付けは全く異なる2人ではあるが…。

古関裕而

シェーンベルクと「表現主義」

シェーンベルクの音楽を紐解く上で、彼が「芸術と音楽の目的」をどのように見ていたかについて鍵となる彼の考え方を知ることは、「シェーンベルクと新ウィーン楽派が音楽で表現したかったものはなにか?」を理解するヒントになるかもしれない。

そのキーワードは「芸術と音楽の目的は、個性、さらに人間性の表現」というもの。これだけでは、わかったようなわからないような…難解な評論家の記事や音楽学者の論文によく登場しそうな言葉だ。正直僕もこれだけではよくわからないし、そのようなレトリックを使っている人も、もしかしたら全てを理解して共感しているのかどうか。僕はこれらのワードを「煙幕ワード」と呼んでいる。相手を煙に巻き、ドロンしてしまう効果があるからだ。しかし、それで終わらせないのが「オトの楽園」である。これから一緒にそれを詳しく紐解いていきたい。

紐解いてはいくが、まずはシェーンベルクが1910年に語った言葉を聞いていただきたい。

「…なぜなら、芸術は人間の宿命を我が身の内で体験する人、世界の動きを内部に持つ人の苦痛の叫びであり、外に向かってほとばしるのはただこだまのみであって、それが芸術作品だからである」(シェーンベルク)

シェーンベルクよ、お前もか!これもまた、わかったような、わからないような…。この言葉の意味することは一体なんだろう?

シェーンベルクがこのような考えに至った背景をまずは見ていこう。それは19世紀末から20世紀初頭の音楽をはじめとした芸術の世界の潮流を知ることが近道になる。

前回も触れたように、西洋音楽の歴史は古典派やロマン派など時代の変遷を経てこの時期「後期ロマン派」という最膨張期に入っていた。時代の蓄積により和声も形式も編成も、その限界が見えてくるほどに拡大してきたクラシック音楽。それに風穴を開けたのがドビュッシーの音楽に代表される「印象主義」の音楽だ。そして、それに対をなす動き、言い換えれば反動的動きが「表現主義」である。シェーンベルクたち新ウィーン楽派が目指したものも「表現主義」だったのだが、表現主義を語る前に、そこに至るまでのこの時代の芸術の風潮を知ることが大事だろう。その風潮とは「モダニズム」である。

一言でいえば「過去、つまり19世紀までの伝統的な枠組みにとらわれない、新しい表現」の事だ。それを「前衛」や「モダニズム」と呼んでいる。「モダン」とは「現代」の事。表現主義=モダニズム=現代主義ということになるだろうか。

建築ではライト、コルビジェ、ファンデルローエ、絵画ではシュールレアリズムやキュビズムなどもモダニズム運動以降の芸術である。日本にもライトやコルビジェの建築物が多数ある。それらの建築に惹かれるひとは、モダニズムにもモダニズム音楽にも寛容であるはずだ。故に僕は表現主義、モダニズムの音楽もまた「難解さ」から脱却し、受け入れられる可能性を多くの人が持っていると信じて疑わない。

フランク・ロイド・ライト設計の「自由学園明日館」(著者撮影)

シェーンベルクらもまた、そのモダニズムへの傾斜を強くしていったのは、ある意味自然な欲求だったのかもしれない。過去より優位に立つ、つまり過去から切り離された全く新しい創造を強く求めたいと思った彼らは、それを実現するために「新しい発明」をしていくことに腐心する。約300年にわたってクラシック音楽を支えてきた「調性」や「機能和声」が崩壊し、これまでの音楽形式が古びていった。その速度はこれまで100年単位で起きていた変化が、数年、10数年単位で急速に変化していったことは驚異的だ。それには情報伝達速度の飛躍的進歩や全世界を巻き込んだ「世界大戦」の影響が大きいとされる。その只中を生きたのがシェーンベルクであり新ウィーン楽派だった。

ここで「表現主義」について簡単に説明したい。印象派、つまり印象主義は「自然」や外界から受ける「イメージ」をそのまま受け止めて音で表そうとしたものだ。それに対して表現主義は人間の内部の普段は表に現れない追い詰められたような感情を強調しようするものだ。例えば「不安」「恐怖」「罪」「死」「狂気」といった生々しい感情を表現しようとした。

もともとはロマン派的な手法で創作を始めたシェーンベルクたち新ウィーン楽派は、そのような「ドロドロした」内容を表現するために、従来の調性や和声にこだわらない「無調」の音楽を表現の手段とした。我々が「難解だ」と感じる「現代音楽」はこのような過程で誕生したのである。

アルノルト・シェーンベルク

シェーンベルクがもたらした「音楽史的転換点」とプライベートな「事件」

シェーンベルクが無調の音楽を書くようになった契機となったかもしれない出来事がある。それはあくまで「私的な」ものだった。

それは、シェーンベルクの妻が共通の友人である画家と駆け落ちし、その後その画家が自殺してしまうという「事件」である。因果関係はシェーンベルクのみが真実を知っているのだが、その事件を契機にしてシェーンベルクは調性音楽を捨て、無調の音楽を作曲するようになった。

シェーンベルクの妻と駆け落ちし自殺した画家ゲルストルが描いたシェーンベルクの肖像画

シェーンベルクの生涯において、その創作時期は「調性時代」「無調時代」「12音時代」に大別されるが、その一時代が終わり次の時代へ移行したきっかけが、プライベートな出来事であったことは興味深い。シェーンベルクにとり、自らの内心のドロドロした感情を無調の音楽として「表現」したのである。我々が現代音楽に漠然とした苦手意識があるのは、自分たちが心のうちに秘めている「不安」「恐怖」「罪」「不道徳」「嫉妬」「憎悪」「失望」「狂気」など、普段は道徳的、模範的人間として生きている自身の「本当の姿」をさらけ出しているからこそ、まるで自分を丸裸にされてしまったような、あるいは「同族嫌悪」にも似た感情を呼び覚まされるのではないかと恐れているのかもしれない。

調性時代のシェーンベルクはロマン派的な手法で「浄夜」「グレの歌」「ペレアスとメリザンド」などの恍惚や幻想、神秘を感じる作品にその特徴を見ることができる。初期作品は新しい音楽ではあるけれど「聴きやすい」作品が多い。中には挑戦的な作品もあるが、基本的には無調時代の音楽に比べたら受け入れやすい作品だ。加えて文学作品などをテーマとしているため「ストーリー」を追うこともできる。まずはそれらの作品に親しむことで、シェーンベルクや新ウィーン楽派の音楽がすこし身近になると僕は考えている。

「無調時代」のシェーンベルク

無調時代に入り、シェーンベルクはさらに文学、もっと言うと「言葉」を手掛かりに作曲する。その中で恐怖の音階とされていた「半音階」や、かつて不協和音であった、不安定で流動的な「4度の和音」、コード理論の用語でいうところの「sus4」や、「増三和音」コード理論で「Augment」という独特の響きの和音を多用した。

そのような作法での作曲に加えて「月に憑かれたピエロ」のように言葉が感情の動きによってセリフのように歌われるような手法を使った。そのようなものを「シュプレッヒゲザング」と言うが、意訳すれば「話しているような歌い方」といった意味だ。それにより、和音のつながりやメロディーに頼ることなく、作品の形を「維持しよう」としたのだった。

シェーンベルクがドビュッシーと異なる点、それはシェーンベルクのオーストリア、ドイツ的気質だと思う。「形式美」「様式美」「伝統の優位性」を重んじ、堅牢さを求める民族性(彼はユダヤ系ではあったけれど)からか、やはりなにか「創作のための法則」を求め「形式(スタイル)」の確立も求めた。

第一次世界大戦など世界的な不安の時代、その時代背景のなかで、人間の不安感を音楽で表現しようとしたシェーンベルクや新ウィーン楽派は、それを「無調」という手段で作品を書いた。そしてそれは第一次世界大戦が終わる頃まで続き、その後1920年代以降の「12音技法」の時代へと進んでいく。それについては次回、第3回で読み解いていきたい。

そして、再び「落語」と「現代音楽」

7代目立川談志の有名な言葉に「落語は人間の業(ごう)の肯定である」というものがある。

「業」とはもともと仏教用語で「身・口(く)・意が行う善悪の行為。特に悪業。また、前世の悪行の報い」のことだが、談志師匠が言わんとしたことは「人間の弱さや愚かさを認めた上で、人間らしさを描き出すことこそが落語」という意味を込めていたようだが、僕はそれに加えて「この世の中の人間はみな『どうしょうもない奴』ばかりなんだ!」という意味合いもあると解釈している。綺麗事や道徳では割り切れない人間の業、それを肯定しているのが落語だということだろう。「どうしようもないこと」をはじめとした人間の、普段は内に秘めた感情を表現する…その点では「落語」と同じように、シェーンベルクのような「表現主義」の音楽もまた「業の肯定」なのかもしれない。

これから「現代音楽」を聴く時は、自分の心を解き放ち「ありのままの自分」をさらけ出して、ただオーケストラが奏でる音楽に耳を傾けて、音のシャワーを浴びてみよう。きっと自分の内なる声と音楽が「共鳴」してくるはずだ。

僕自身は現代の音楽は限りなく「自分に身近な音楽」なのだと思っているし、現代に溢れているさまざまな「音」を再現し、人間の「心象風景」を描いているのだと思っている。身近な生活音、日常の美しい声からのノイズまで、全てを日常生活と同じようにランダムに同時再生する。仕事の手を止め、周りから聞こえるさまざまなサウンドに耳を澄ましたとき、その音が「音楽」として聴こえてくるかもしれない。それと同じような気持ちで「現代音楽」を聴くのもまた一興だ。

そうやって聴くシェーンベルクや新ウィーン楽派の音楽は、あなたのなかでとても「聴きやすい」音楽になるかもしれない。

そして「現代音楽はついつい寝てしまう」という人のために、談志師匠の言葉を贈りたい。クラシック音楽、現代音楽もまた「業の肯定」であるならば、こんなにも心強い言葉はないだろう。

「落語の目的は人間の “業の肯定” なんです。人間て 眠くなると寝ちゃうでしょ?やんなきゃいけないと思ってもやらない。それを肯定させてやるのが我々の稼業。だからいいんです、落語っていうのは。」(7代目立川談志)

(文・岡田友弘)


演奏会情報

#647 〈トリフォニーホール・シリーズ〉
2023年3月4日(土) 14:00 開演

#647 〈サントリーホール・シリーズ〉
2023年3月6日(月) 19:00 開演


新日本フィルに斬新なプログラムと数々のアイディアを与えた現代音楽屈指の指揮者、メッツマッハー(2013-15, Conductor in Residence)が久々の登場!世界のテツラフとの共演にも期待!

〈プログラム〉

・ウェーベルン:パッサカリア op. 1
・ベルク:ヴァイオリン協奏曲
・シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 op. 5

指揮・インゴ・メッツマッハー
独奏・クリスティアン・テツラフ(ヴァイオリン)
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

チケット、詳細は新日本フィルウェブサイトでCHECK!


執筆者プロフィール

岡田友弘

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。


岡田友弘・公式ホームページ

Twitter=@okajan2018new

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