プロはパーツから語る「世界一細かい楽器紹介」トロンボーン編#2
演奏会によく来る人も音楽はもっぱらオーディオで聴くという人も、オーケストラの中の楽器については知っているようで知らないことも。学校の授業で習うような普通の知識にちょっとプラスして楽器に詳しくなれるお助けになることを目指して『世界一細かい楽器紹介』シリーズ第2回です。
今回のテーマはスライド部分
第1回の『世界一細かい楽器紹介』では新日本フィルハーモニー交響楽団(以下新日本フィル)トロンボーン奏者の山口の楽器を通して、トロンボーンについて説明をしました。
楽器が3つの部分に分かれるという事を書きましたが第1回の記事では3つの部分のうちバルブセクションのみにしかスポットを当てられませんでした。
今回はトロンボーンという楽器のもっとも大きな特徴であるスライドにフォーカスを当てて読者の皆さんとトロンボーンに詳しくなっていきたいと思います。
トロンボーンの始まりはトランペットにスライド機構を付け、それが大型化したものだと第1回でも触れましたが、このスライド機構というのが開発された当時はとても画期的なものでした。
金管楽器は楽器の構造上、唇の振動を基本の音とするとその周波数の正数倍の倍音しか出せませんでした。これだと一つの楽器では限られた調性の音楽しか演奏できません。この問題を解決するためにナチュラルトランペットやナチュラルホルンと言われる古いタイプ(バルブ機構による変音装置がない)の楽器は管を付け替えることで調性と音程を変更していました。
トロンボーンが登場した当時、活躍の中心であった教会音楽では歌が音楽の中心でした。
そのため、その時々で音程を自在に変えることができるトロンボーンは歌い手の声に自在に寄り添うことができる重要な楽器であったのです。
さあいかにスライドがトロンボーンという楽器を特徴づけているのかわかってきたところで、今回も新日フィルのトロンボーン奏者の楽器を見ながらスライドについて詳しくなっていきましょう。
スライドの基本構造
まずはスライドの基本構造からです。スライドとは言葉通り滑らせるものなのですが、そのために、楽器(バルブセクション本体)に固定されているインナースライドがあります。
そしてその上を滑らせるアウタースライドがありマウスピースからバルブまでの距離をアウタースライドを動かすことによって楽器全体の管の長さを調節して音程を変えています。
トロンボーンは金管楽器に属しているため、基本的にその素材は真鍮です。真鍮とは黄銅(銅と亜鉛の合金)の中でも亜鉛の割合が20%位上のものを言います。身近なものですと五円玉が銅60~70%、亜鉛40~30で構成されてる真鍮となります。
この割合によって金属の色が変わってくるのでそれぞれ、ゴールドブラス、イエローブラス、レッドブラスなどと呼ばれていて、楽器に使用される時もそれぞれの合金の特性を生かした楽器となっています。
なぜ一度素材の話に寄り道をしたのかというと、山口の使用しているテナー・バストロンボーンのアウタースライド部分が真鍮でできていないからなのです。
向かって右側のアウタースライドが山口のもの。
こちらのスライド部分はオールニッケルモデルとなっています。その名の通りニッケル合金でできています。
ニッケル合金とは
楽器の特性を知るために、まずは素材の特性を調べて見ましょう。(再び話の本筋からズレてみます。)
ニッケル合金と一口に言っても様々な配合がありますが、まずはニッケル単体の強さを引っ張り強度という視点からみてみましょう。さまざまな特殊鋼を取り扱っている株式会社バルテックがホームページで色々な金属の特性を掲載してくれているのですが、それによるとニッケルの引っ張り強度は490N/MM2となっています。それに比べて真鍮は200N/MM2ということで数字の上でもニッケルの方が2倍以上強いことがわかります。また硬さを表すビッカース硬度を取り上げると、ニッケル単体で96Hv、ニッケルにクロムや鉄を混ぜたインコネルというニッケル合金にいたては170Hvになります。ちなみに真鍮は50Hvという硬さです。
さて、そのような特性がどのように音に表れているのか、選択のポイントを山口に聞きました。オールニッケルのスライドはその軽さが特徴です。また金属として硬さを感じるため吹き始めた時のレスポンス感に優れているそうです。それまでBach社のライトウェイトモデルのトロンボーンを吹いていた山口はその吹き始めのスピード感をエドワーズでも求めたそうです。目についたオールニッケルのスライドが見た目的にBach社のライトウェイトモデルに似ていたためこちらを選択したという来歴があるそうです。
ではもう一度写真をご覧ください。写真の左側に写っているのは新日本フィルのもう1人の副首席トロンボーン奏者・伊藤大智のものです。伊藤のアウタースライドはイエローブラス製となっています。ニッケルに比べて柔らかな素材ではありますが、レスポンスよりも豊かな振動感や幅広い吹奏感を重視しているセッティングなのかもしれません。
2種類のアウタースライドをみていただきましたが、この二つのスライドの違いは素材だけではないのです。先ほどの写真からもう少し視点を下に移してインナースライドを真正面からみてみましょう。右に置いてあるのが山口のインナースライド、左に置いてあるのが伊藤のインナースライドです。
お気づきでしょうか。山口のトロンボーンのスライドは2本の管の直径が違うのです。これをデュアルボアと言います。マウスピースから入ってきた空気が通る管よりも、折り返してバルブセクションに向かう管の方が微妙に太いのです。具体的な数字としてはマウスピースから入ってくる管(上管)が0.547inchそして折り返してきた方の管(下管)が0.562inchだそうです。この2種類の直径のうち太い方はバストロンボーンにも使われているものだそうで、息を吹き込むマウスピースから音が出てくるベル部分までの全体を通して緩やかな直径の変化に設定することで息の入りがスムーズになります。
よりわかりやすくみえるように拡大した写真がこちらです。
拡大すると右側の上管よりも左側の下管の方が直径が大きくなっているのがわかるかと思います。
そしてデュアルボアでないシングルボアの伊藤のインナースライドを正面から見た写真がこちら。
こちらも左右の管が同じ直径であることがよくわかります。
バルブセクションからスライドを取り外して並べるとこのような様子。
バストロンボーンのスライドも見てみよう
さあここで、この記事を執筆しているタイミングで新日本フィルに客演してくださっていた村本悠里亜さんの楽器のインナースライドも並べて見てみましょう。
村本さんのスライドもデュアルボア仕様になっています。ということで、右の伊藤のシングルボアのテナー・バストロンボーンから真ん中のテナー・バストロンボーンデュアルボア、バストロンボーンのデュアルボアまでだんだんとその内径が太くなっているように並べてみましたがいかがでしょうか。写真でみるとその差が小さいのでわかりにくいかもしれませんが、実物を目の前にすると、なるほどデュアルボアの下管はたしかに上管よりも太く見えます。
刻印部分にズームイン
それでは村本さんのスライドの一部にズームインしてみましょう。
村本さんの使っている楽器はシャイアーズというメーカーのバストロンボーン。こちらのメーカーではスライド部分にその楽器のスライドの内径がどのくらいなのか刻印で記されているそうです。
写真をご覧になってお分かりの通り、数字が2つ書いてあります。刻印は『B 62 78 BOL』となっています。
こちらの刻印の意味はバストロンボーン用(B)で上管が0.562inch(62)、下管が0.578inch(78)、ブレア・ボリンジャーモデル(BOL)という意味になっています。こちらのボリンジャーとはフィラデルフィア管弦楽団のバストロンボーン奏者で彼の監修のモデルです。
ではエドワーズのトロンボーンを使っている山口の同じ部分を見て見ましょう。
ここには『DBTAN』と書いてあります。こちらの意味としては、デュアルボア(DB)、テナーバストロンボーン用(T)、オールニッケルモデル(AN)というようになっています。下段の数字はシリアル番号ではないかとのことでした。
ちなみにですが、この刻印が打たれている部分の内側インナースライドの更に内側にはマウスパイプと呼ばれる部品が入っています。これについては相当な深い内容が隠れているらしく山口によるとこの「スライド回」には含めない方がいいとアドバイスがありました。
ということでスライド部分についてはその素材や直径についてご紹介してきました。
残すところはこちらの部分です
次回の記事ではベル部分に注目してトロンボーンという楽器を掘り下げてみようと思います。
こちらの3つのベルが写っている写真からもそれぞれが独自の色を持っていることがわかります。ベルについてもイエローブラスやレッドブラスなどの様々な素材が世の中にはあるそうなので、これまた楽器紹介の方もニッチな方向へと向かいそうな気がしています。
この企画への質問や、トロンボーンのパーツについて変わった情報をお持ちの方は是非ご連絡ください。
担当の城と山口が内容を精査して次回以降の楽器紹介に取り入れさせていただきます。
皆様からのご連絡をお待ちしています。
(文・写真:城 満太郎)
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