240803_御嶽神社から里山楽園へ
朝チャリ_茂木方面へ
この夏休みは、台風の日を除き、ほぼ毎日、朝チャリを続けてきました。
今回紹介するのは茂木方面の中で見つけたスポットです。
以下の条件に当てはまる散歩コースを提案していきたいと思います。
①駐車場がある
②魅力的な場所である
③30〜60分の散歩コースである
道の駅もてぎを拠点とし、折りたたみ自転車でぐるっと周ってきました。茂木町には神社仏閣をはじめ、戦時中の工場跡、廃線跡、あるいは台風の被害記録などが街中にたくさんあります。走行距離に対して、巡るスポットがとっても多いです。
以下は実際に走行したルートです。2回巡ったスポットから散歩コースを提案していきます。
まず8/3に訪れたのが御嶽神社と里山楽園の頂上まで。どうやら頂上の先にもコースが続いていましたが、このときは時間切れで戻りました。
そして先日、8/18に再び茂木町を巡っているときに、里山楽園コースの反対側を見つけて、そこから頂上まで歩くことができました。なるほど、こうやってつながっていたのか。
おすすめ散歩コース
1.御嶽神社
まずは御嶽神社から歩いていきましょう。駐車場は通りに面した鳥居の左手から入れます。
一ノ鳥居の先に階段があって、階段をあがるとニノ鳥居があります。
そして鳥居をくぐると、左手に手水舎と拝殿が見えてきます。
以下、案内板からの引用です。
御嶽神社由緒
立身出世・健康増進・衣食住を司る祭神
祭神国常立命大己貴命少彦名命
その縁起
神社の創起は中世末、茂木氏の後の領主となった須田美濃守盛秀(治則)が文禄四年(一五九五)より、慶長七年(一六〇二)まで桔梗城に在城。その折、城の辰巳(東南)の方向に、守護神として鎮座造宮された。
天正年間(一五七三~)、関東は大きく南は北条氏、西は上杉氏、北東は佐竹氏の三勢力の配下となった。ところが北条氏は関東制圧を目ざして、まず佐竹勢下の茂木付近に出没。すでに北条勢となっていた結城・益子勢が天正十五年(一五八七)に、茂木西部の天矢場付近に攻め入って来た。
茂木勢はその西の佐夫良峠で両軍を撃退できた。しかしその後の再来を恐れた茂木氏は佐竹氏に、援軍を乞う。そこで佐竹氏は茂木氏を一五九四年常陸小川城へ移す。代って佐竹の勇猛の重臣、須田美濃守治則を茂木百騎と共に茂木に送り込む。
須田美濃守は茂木に来る前、佐竹氏と共に甲州勤番を行う。その際、甲州と木曽の御嶽神社に立身を祈願。その後水戸に帰国後、茂木に城主として栄転。それに謝して、茂木城の巽(南東)の方向、この地に御嶽神社を奉納した。
須田氏が茂木百騎と共に、慶長七年(二六〇二)秋田角館へ移った後、一六一〇年細川興元が茂木に大名として入り、近世の領主となる。その後茂木細川氏は二百六十年間この地を治める。
その間細川氏とその屋敷に住む武士達は、この神社を祈願社として、深く崇敬した。
明治に入り一般社となったが、同六年大政官布告を以って、官幣村社となり、茂木町東部の旧槻木村々社となった。
2.小倉山御嶽里山楽園
続いて、ニノ鳥居の右手に行くと「長寿と道徳の里山楽園」の看板があり、その先に山道が続きます。「長寿と道徳の?」って若干意味不明ですよね。
歩いていくと、その意味がわかってきます。まずはこちら。
山道を登るだけでも十分な運動になりますが、登っていく途中に、吊り輪が何度も出てきます。昔に流行ったぶら下がり健康器のような感じでしょうか。
では、道徳ってどういう意味なのでしょうか?
道中には、写真のように看板が随所に立っています。そこには偉人の教訓とか、世界の観光地などの写真が掲示されており、歩くだけで道徳心も身についてしまうというお得な散歩となります。カーブのたびに設置されているような感じでした。
ついに頂上につきました。およそ10分程度。くねくねしたルートなのでちょっと遠く感じます。
頂上を通りすぎて、下りに入ります。写真のように雑草が多いところもあります。
さらに下りルートでは、足元が滑りやすく、手すりが用意されています。手すりに手をかけて歩くことをオススメします。
下りも10分程度で降りてこれます。出口の案内板がありました。以下のように安養寺への行先が案内されています。
というわけで、このまま案内に従って安養寺へ行きましょう。すぐ隣なので、ほんの3分程度です。(看板には8分とありますが)
3.安養寺
さきほど3分と書いたのは、以下の写真の四脚門までの時間でした。安養寺の門柱はもうちょっと手前にあるので、そこまで歩くと8分なのかもしれません。
四脚門をくぐると、左側にお地蔵様が見えてきます。6地蔵です。
というわけで上記ルートを歩くとおよそ30分。あれこれ見て回ると60分は見ておくとよいかと思います。
おまけ:招魂社
御嶽神社から里山楽園ルートを経て安養寺へ行くと、ちょうどその間に招魂社を通り過ぎることになります。よって散歩ルートには加えにくいのですが、近くなので足を伸ばしても良いかと思います。
石づくりの神明鳥居を二つくぐると、招魂社という社が見えてきます。招魂社(しょうこんしゃ)とは、明治維新前後から国家のために殉難した人の霊を祭る神社。軍馬慰霊碑などの大きな板碑があります。GoogleMap上では「浅間神社」と記載されていますが、その表記は見つからず。