New Frontire vol.2 高田エージ
ー放課後ー
1962年、東京生まれ。晴天率100%お祭り男、KING OF YEAH!、幸せを運ぶ男。様々なキャッチフレーズを持つ男、高田エージは子供の頃から歌うこととサッカーが大好きだった。
同級生のほとんどは、王・長嶋のON砲に憧れる野球少年だったが、高田エージは小学生の頃からサッカーにはまり込み、サッカー部のキャプテンにもなった。でも、当時サッカーはまだまだマイナーなスポーツでちょっと時代と合っていなかった。
テレビやラジオから聞こえてくるのは、フォークソングや歌謡曲ばかり。そんな歌を歌うためにギターも覚えた。でも、歌謡曲はその頃の自分にちょっと合っていなかった。
中学3年生の冬、エアロスミスが日本に来日するというニュースを知って、友達と武道館へ繰り出した。1977年1月31日。
その日を境に高田エージの人生は音楽の道へと導かれていくことになる。
高校に入学してすぐに、友達とエアロスミスのカバーバンドを始めた。
これがぴったりと自分に合っていた。
「そのエアロスミスのカバーバンドが結構人気が出てね。偶然、プロの目に留まったんだ。その人たちと一緒にバンドを始めて、屋根裏やガソリンアレイ(現・ストロベリーフィールズ)なんかに出てたんだよ。それで事務所もレコード会社も決まって、そのバンドでデビューするんだと思っていたら、会社の意向で元々一緒にやっていたギター(大金泰博)と俺の2人だけでデビューすることになってさ」
田辺エージェンシーに籍を置き、フォーライフレコードから『DUO』というユニット名で 17 歳でデビューをした。
デビュー曲は吉田拓郎 作詞作曲の「放課後」
ーQUE SERA SERAー
エアロスミスのライブアルバム『Live!Bootleg』の中で、スティーヴン・タイラーが歌う『Mother Popcorn』を聴いて、ジェームス・ブラウンの名前を知り、すぐにレコードを買い今度はジェームス・ブラウンを聞き漁った。
「当時、黒人の音楽って言ったら、モータウン系はあったけど、ああいう音楽はあまり聴いたことがなかったんだ。『SEX MACHINE』なんてアルバム1面の2/3くらいが1曲だったりするし(笑)もう衝撃的で」
高田エージのサイトを見ると、プロフィールには好きなアーティストとしてジェームス・ブラウンの名前が書かれている。そんな高田エージにとって、アイドルユニットのような形でのデビューは全く似合っていなかった。
「芸能界みたいなのが嫌で、とにかくバンドがやりたかったんだ。それで 2 年で事務所を辞めて、原宿のクロコダイルでアルバイトをしながらバンドをやってたんだよ」
1977年に原宿にオープンした『クロコダイル』は当初はライブもできるレストランバーのような業態で、安岡力也氏が店長を務めていた。高田エージがアルバイトを始めるちょうどその頃、店長が現在のオーナー兼マネージャーの西哲也氏に代わり、西さんの手腕でライブハウスへと変わっていこうとしていた頃でもあった。
「当時はジョー山中さん、内田裕也さん、桑名正博さん、そんな人たちがクロコダイルでライブをやっていたよ。バンドで人気があったのは TENSAW と子供ばんど。そういう時代だった」
その頃、高田エージは高校からの音楽仲間たちと洋燈亭(LAMP-TEI) というハードロックバンドを始め、福生のエレクトリック・ウズや横須賀のロックシティなど、外国人をターゲットにした店でライブをしていた。その後、いくつかのバンドを経て、1986年にSUPER BADを結成。バンド名は大好きなジェームス・ブラウンの曲名からつけた。 新宿ロフトやアルバイトをしていた原宿クロコダイルのステージにも立つようになる。
結成の翌年、1987年にSUPER BADはパルコ主催のライブアワードで地区優勝を果たし、来日したドクター・フィールグッド/ウィルコ・ ジョンソンのオープニングアクトを務めることになった。バンドは 順調に活動し、その翌年の1988年にはアルファ・ムーン(現 MOON RECORD)からシングル『ドナドナ』でデビューをする。SUPER BADは一躍人気バンドとなり、レコードデビューと同年にオープンした 渋谷クアトロのオープニングを飾り3days ライブを行ったが、3日間ともチケットは完売だった。
そんな中、2ndアルバム発売後にギターの関口が脱退し、新たなメンバーとしてMUTE BEATで活躍していた内藤幸也が加わった。
「幸也とは高校は違ったけど同じ年で。あいつの家が最初に『DUO』で一緒にデビューしたギターのヒロ(大金泰博)の家の隣で(笑) 幸也はヒロの幼なじみだったんだよ。アマチュア時代にも一緒にバンドやったりしてるから、幸也とは本当に長い付き合いなんだ」
気心の知れたメンバーを得て、SUPER BADはますますバンドとして結束していく。そんな頃、ちょうど一大バンドブームが沸き起こり、それまでアイドルが主流だった音楽番組にもバンドが当たり前に出演するようになった。
「子供の頃のサッカーもそうだけど、やっぱりみんなが野球をやってるから何か違うことしたかったっていうのもあったと思うんだよね。音楽も俺たちが始めた時には、バンドやってるヤツなんか周りにいなくてさ、だからバンドで音楽をやりたかったんだ。でも、今度はバンドブームがきて、誰でもバンドをやるようになったら、ちょっと面白くないなって思うようになってさ」
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