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「ネクステ」という名の信仰

こんにちは。予備校講師・受験コンサルタントのシンノです。

Twitter界隈では、定期的に「ネクステ」が話題になりますね。それだけ、「ネクステ」という教材は圧倒的知名度と浸透度を誇る教材ということ。本家の「NextStage」だけでなく、「Vintage」や「UPGRADE」など、類書は山とありますが、このような四択問題を中心とした文法・語法問題集が、界隈では「ネクステ」系と呼ばれているように、四択文法問題集の代名詞とも言うべき存在です(以下、「ネクステ」と言ったら、こういった類書全般を指すと思ってください)。「ネクステ」がここまでの存在になったのは、本家「ネクステ」が、当時は革命的な教材であり、学校をはじめ多くの教育現場で広く歓迎されたからと言えるでしょう。

私が受験生のころ、まだ「ネクステ」はありませんでした。当時、同種の文法対策として受験生に広く浸透していた問題集は、桐原の「大学入試英語頻出問題総演習 」。通称、「英頻」とか「英総」。遠慮なく言いますが、どうしてこの本が当時あんなに売れていたのか謎、という教材です…。解説はほとんどなく(「Aなので、解答はAです」程度で、小泉進次郎構文レベル)、単元ごとではないランダムな演習教材。およそ文法知識の整理本として適切とは言えないでしょう。当時、進学校を中心に人気があったもう一つの本が、駿台文庫の「新・英文法頻出問題演習」、通称「(新)英頻」。四択に限らず多様な問題が掲載されていましたが、いかんせん難度は高めで解説も詳しくはない、という教材。標準レベルの受験生には手を出しにくいものだったと思います。

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これらの先行する教材に比べると、本家「ネクステ」は、単元別に整理され、必要最低限の問題が効率的に学べ、解説も比較的詳しい。高校生だけでなく、学校の先生方にも広く支持され、ついには類書があちらこちらから登場するまでになり、そして現在に至るというわけです。

先に申し上げておきますが、僕自身は、「ネクステ」は大変優れた教材だと思っています。どの本も約1000題、大学受験に必要と思われる文法・語法の知識がコンパクトにまとめられており、これ一冊をやり切ればかなりの力になることは間違いないでしょう。

では、どうして「ネクステ」批判が起こるのか。それは、「ネクステ」を使うべき時期や、正しい使い方を何ら考慮せず、「とりあえずネクステをやっておけば大丈夫」という、まったく根拠のない英語学習法が蔓延してしまっているからだ、と僕は思います。つまり、「ネクステ」という教材に問題があるわけではなく、「とりあえずネクステをやっておけば大丈夫」という言わば「ネクステ信仰」の方に問題があるのです。

そもそも、「ネクステ」は、文法を初めて学ぶ人、基礎的な英文法の知識が欠けている人が取り組む本ではありません。これらの人にとっては説明が不十分ですし、特に基本的な語順が身についていない人にとって四択という出題形式は適切なものと言えないでしょう。本来は、文法を(カンペキとは言えないまでも)ひと通り学習し終わった人が、自分の知識に抜け漏れがないかを確認し、完成度を高める教材が「ネクステ」なのです。

中学受験した人たちにとって、四谷大塚の「四科のまとめ」、日能研の「メモリーチェック」という教材が有名ですね。「予習シリーズ」などで単元ごとの学習を終わらせた後に、知識整理をするための本。秋から冬にこれらの教材に取り組むことは非常に効果的だったと思います。「ネクステ」もこういう教材。ちゃんと英文法を勉強もせずに「ネクステ」をやり始めるのは、「四科のまとめ」や「メモリーチェック」でニュートン算を初めて勉強するようなものです。

本家「ネクステ」が登場した時代だったら、高校2年生くらいから「とりあえずネクステ」で本当に大丈夫だったのかもしれません。多くの高校の授業では、高1・2で英文法をしっかり取り組み、それなりの進学校なら「リード問題集」とか、「フォレスト」や総合英語本の学校専売の問題集などが採用されていて、単元ごとの問題演習はしっかりやっていた。そして、その次の本として「ネクステ」があったのです。こういう流れがあった時代には、確かに「ネクステ」は効果的なものだったでしょう。

ところが今はどうですか。高1・2で英文法をしっかり取り組む学校なんてごくわずかです。とりわけ公立高校では、アクティブラーニングの名の下に、英文法の問題演習などほとんど行われていません。かつては当たり前であった、「As + S Vを分詞構文に書き換えよ」とか「直接話法の文を間接話法に書き換えよ」みたいな問題は、一部の進学校を除き、大半の高校生がやっていない。つまり、「ネクステ」に行く前に取り組んでおくべきだった文法学習がごっそり抜けてしまっているのに、「ネクステ」だけは残ってしまっている、というのが現状なのです。「とりあえずネクステをやっておけば大丈夫」という「ネクステ信仰」があまりに強く、前提が崩れた今でも、それが残ってしまっているということでしょう。「ネクステ」を学校採用している高校の先生方には、ぜひこの点をご考慮いただいて、本当に自校の生徒へ「ネクステ」をやらせるだけの基礎体力があるかを見直してほしいと思います。

とはいえ、私は、予備校講師などが「ネクステ」批判をTwitterなどで展開することはなるべく避けるべきだと思っています。それは、生徒の大半が、好むと好まざるとに関わらず、学校の課題として提示され、取り組まなければいけない現状があり、やらなければいけない課題についていたずらに不安をあおるべきではないと考えるからです。少しでも有意義に「ネクステ」に取り組むためにはどうしなければいけないか。これについては次の機会で述べたいと思います。

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