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龍田古道で府県境を越え、歴史と文明を感じる

さて、ここまで現代的な関東のショッピングモールや、やや古風な応援団の演舞を観てきた訳ですが、一気に関西に飛びます。
関西は歴史あるものが多く、山岳地帯も多いのが特徴で前の記事に比べるとかなり長閑な風景が広がります。

なぜ、一連の流れで書いているかというと、ここまで一枚のきっぷできたからです。

その話は後に回すとして、今回は奈良県の三郷さんごう駅から概ね龍田古道に沿って龍田大社、地滑り地帯の亀の瀬を経て大阪府の河内堅上駅まで歩きましたので写真を紹介します。

三郷駅〜龍田大社

三郷駅
川沿いの宅地には緑が迫る
神奈備神社

早速歴史を感じる万葉歌の紹介があります。

向こうの丘は大和川を挟んでいます

丘の上にも住宅が並びます。関東だと横浜近辺で似た景色を見れますが関西の方が急斜面、山の上に建ってるところが多い気がします。また、大和川を挟んで向こうの景色で川沿いが谷になってる地形です。

龍田大社

龍田大社は風の神様だそうです。かなり歴史ある神社とされています。
龍田と聞くだけで教科書に出てくる和歌を連想します。(どんな和歌かはあやふやです)

末社

恵比寿さんにお稲荷さんまでいます。

第三大和川橋梁周辺

和歌の石碑と紅葉
第三大和川橋梁
橋を列車が通る


形の違った2つのトラスに鈑桁ばんげたが合わさった形状です。あまり詳しくありませんが、川に対して斜めにかけられていたりで、全国的にも珍しい構造らしいです。
関西本線の府県境付近の区間は大和川に沿って線路がひかれていて、6回も橋で川を越えます。
蛇行する川に対し直線的に線路をひきたいという意図もあると思われます。
ただ三郷ー河内堅上間については地すべり地帯を避けるという意図もあります。

三郷の住宅地かは府県境の峠道、地滑り地帯へ

公園と住宅

第三大和川橋梁を見るため、龍田古道から逸れましたが、再び古道の方に向かいます。

龍田古道に回帰。住宅地の奥には林が広がります。

国道25号の対岸を歩きます。
この奥の林からは国道25号や大和路線より一足早く大阪府に入ります。
このあたりから地すべり地帯です。

地すべり区域だからと書かれた注意書き
農地
都市離れの山には工場みたいなのはよくある
進入禁止

進入禁止とあるが、徒歩では特に問題なく亀の瀬まで行けました。

ここにも工場

このあたりは製造とかリサイクルとか二次産業ぽい建物が点在します。
対岸にはもっと大規模な事業者もいます。

竹林を抜けます
少し開けてきた

森林を歩くと古道感が出ます。かつてはこちら側に鉄道が走っていました。

峠八幡神社周辺

峠八幡神社
境内
ここにも建物

地すべりなとこによく建てるなと感じます。

ひらけてきた
ダンプが走ります

このあたりはダンプ車が行き交っていました。亀の瀬の地すべり対策関連の作業で来てるのでしょうか?

亀の瀬

地すべり資料室付近

地すべり資料室
トンネルをあしらった建造物もあります
資料館から亀石方面の下り坂
第四大和川橋梁もみえます

さて、地すべり地帯の発信拠点、地すべり資料室に来ましたが、今日は休館日でした。

亀の瀬1号排水トンネルなど

排水トンネル
内部

大雨で土砂崩れが起こるように水は地すべりの一因であるようです。
地下水をこのトンネルから川に流すことで地すべりを和らげるとのことです。

深礎工

深礎工という杭で地すべりを堰き止めます。水害対策でいえばコンクリートの堤防みたいなものとでも言うのでしょうか。

旧地すべり資料室

現在進行形で地すべり対策は進んでいます。ざっくりいうと井戸などに地下水を集め、水をトンネルから川に排水して、土の動きを和らげる対策と物理的な杭などで地すべりを堰き止める対策があるそうです。

亀石、新亀の瀬橋

亀石

亀石が動くと地すべりで大和川が塞がれ、奈良盆地が水没するという言い伝えがあります。

第四大和川橋梁と国道25号
新亀の瀬橋

亀の瀬トンネル

亀の瀬トンネル

この奥には地すべりで全壊したとされていた初代大阪鉄道(現在の大和路線にあたる路線)の亀の瀬トンネルの一部が残っています。
見学ツアー以外の時は中は閉じられていますが、内部では生々しく残されたトンネルと地すべりした土砂が見学できるそうです。

排水トンネル

亀の瀬龍王社

亀石をのぞむ
亀の瀬龍王社

この神社は葛城修験最後の巡礼地だそう。亀の瀬の地すべりにも関係しているのだろうか?

対岸のJR大和路線をのぞむ

この付近にある大和路線の明神第二踏切は耕作地が放棄されてしまい、行き止まりの踏切となってしまっている。

集水井

設備のプレート
井戸内部
説明書き

井戸を掘り、地下水を集めて、トンネルに流すようです。

第四大和川橋梁に近づく

予約制のバス

予約制のコミュニティバス。一応、河内堅上駅へは徒歩圏内ですが、大阪側には集落があり走らせているようです。
このあたりは山間部とはいえ大阪近郊です。しかし過疎地域の交通を思わせるような交通体系です。

第四大和川橋梁
集会所と地蔵?

集落の集会所を老人に限定したのはなぜだろう?

集落

亀の瀬から河内堅上駅寄りは集落があります。

集落から対岸を見る?
大和路線がみえた

道路は川を越えていませんが、大和路線はすでに第四大和川橋梁を渡っている。
鉄道の橋は斜めにかけられて、なおかつカーブしています。斜め横断のため並行してるように見える訳です。

第四大和川橋梁の下をくぐる
西側から第四大和川橋梁をみる
大和路線の列車が橋からトンネルに吸い込まれる

第四大和川橋梁の特徴は川に対し斜めにかけられているのと、橋のしたをトラス橋が支えていることです。この構造の橋は全国みてもここだけとのことです。なお、下のトラス橋は渡ることはできず橋を支えるためだけにあります。
いかにこの区間が難所だったということが窺えます。

河内堅上駅に向かう

対岸のリサイクル、残土処分業者

国道25号側の方が若干栄えています。

大和川を渡る橋

河内堅上駅から対岸に渡るにはこの橋を渡ります。少し駅までは歩かないといけません。

青谷踏切

カーブになっている感じがいいですね。

201系

2024年になっても未だ現役の国鉄型車両です。そろそろ見納めの時も近いかもしれません。

河内堅上駅前

駅前の集落
登った所にはカフェもある
河内堅上駅前
駅舎
運賃表
営業時間の案内
駅を出るとすぐに商店

ほぼ駅直結で商店があります。有名店ではなく、個人商店でひっそりと堂々と佇んでいます。

運賃箱

簡易タイプの改札機しかなく、運賃箱が設置されていました。秘境駅というほどではありませんが、天王寺から20分足らずで地方ローカル線のような佇まいです。

大和路快速が通過
手洗所

トイレはありますが、看板がレトロです。

駅名標

この駅名標はJR西日本ではよく見るデザインです。

跨線橋の途中から列車を見下ろします
発車標

改札機が簡易タイプな一方、発車標はしっかりついています。ただ手に届く高さで線路に並行するように無理矢理設置されている感はします。

大阪方面の駅名標

ホーム屋根のないところの駅名標はさすがに野晒しで劣化しています。ただ、電灯など必要なものは一通りありました。
ここから大阪方面の列車に乗り帰路につきました。

おわりに

ここに来ると大和路線がやたらと大和川を越える理由を実感できます。
阪奈間の中では川沿いの地形に沿っているため、特に国道25号を走っていると標高差があまりなく、最も難所と感じにくいところです。

しかし、25号の対岸は地すべり地帯という難所で、鉄道などでは地すべりに悩まされていました。
土木技術の発達で地すべり対策は進み、鉄道ルートも変更され、阪奈間のつながりが支えられています。今の関西があるのも、技術開発、それを支えている人達のおかげです。

一方で歴史的にはこういう地形がこのエリアの発展を支えてきましたが、人の移動が活発な現代では比較的平地の広く、首都の関東圏が発達し続け、関西停滞の遠因になっている気がします。

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