「君たちはどう生きるか」感想
君どうを見てきたのでもろもろ忘れないうちに感想。既に忘れている所もある気がする。ネタバレあり。毎度のことながら全くソースなど整理しない私的に思ったことを書き散らす散文をご了承いただきたい。
ここまで感想を漁っている方は見に行かれているとおもいますが、まだ見ていないという人はこんな場末の駄文を読む前に映画館に行ってください。
宮崎駿監督の最後?にして超弩級ストレート王道な冒険活劇でありながらカオスな作品でした。王道でありながらカオスという最初から矛盾しているような話ですがまぁそれはさておき。
・わかりやすいのにわかりにくい
「君たちはどう生きるか」は物語の構造的には行きて帰りしな基本的な構造なのですが、異世界の説明が無さすぎるので難解だという人もいるんだと思います。
疎開先で嫌なことがあり、逃避先としての異世界がでてくるのですが、まぁ世界観の説明が無い。とてもツギハギな感じあるんです。なんやねんこれ?と思っているとまた別の空間が現れ、別のキャラクターが出てくる。その繰り返しの中で主人公の眞人は継母になるナツコさんを探し、物語は進んでいく。最後には異世界は崩壊し現実に帰ってくる。基本はとてもシンプルな構造だと思います。
個人的なことなんですが最近「答えのない問い」というものをどう捉えるべきなのか考えていたりするんですよ。インテリや知識人と呼ばれる人たちがあまり尊敬されなくなったことに「答えのある問い」が世の中の問題として減ってきたことがあるのかなと考えていたのです。知識人は「答えのない問い」を考え続けていて、その問題に関心のない人からしたら「で?結局何がいいたいの?」と聞きたくもなるんです。その一方いわゆるインフルエンサーは「答えのある問い」をわかりやすく答えて名声を得る、という分断が進んでいっているのかなと思っているのです。
答えがない、というのは人によっては気持ち悪いと感じる人もいます。また「答えのない問い」を考えるということは現代風に言えば「コスパの悪い問題」になると思います。しかし現実には「答えのない問い」で満ちあふれています。で?結局どうしたらいいの?と聞きたくなる、気持ち悪いしめんどくさい問いです。その問いに向き合わなければいけない人に向かって「そんなコスパの悪い生き方してどうするのさ」と自称スマートに生きている人たちが無責任に言ってきたりします。しかしながら「答えのない問い」というものに向き合わなければいけないことがあります。主人公の眞人も「なぜ母親が亡くなったのか?」「なぜ疎開しなくてはいけないのか?」「なぜいじめられるのか?」と自分自身に、その時代、環境に問うていたのだと思います。
このよく分からない問いの一つに悪意というのがあると思います。人は悪いことだと知りながらやってしまうことはある程度誰にでもあることだと思います。時代や環境が悪い!と言い切れるのであればまだいいのですが、眞人も自分の中に悪意があることに気づいています。この悪意はよくないもの、と知りながらもやっぱり生まれてしまうのです。人間の弱さ、と言えば簡単なのですが、普段はあんなにも礼儀正しくしているのになぜあのときは弱くなってしまったのか、傷を大きくして父親に復讐してほしかったのか?それも犯人を告げ口しなかったことから違うようでした。周りの人間だけが悪意を持っていて自分自身が純真無垢であるというのではなく、周りに悪意があるのと同じく自分の中に悪意があったのです。どうやってこの自分の中の悪意と付き合って生きていくか?これまた答えが簡単にでない困難な問いですね。
大叔父さまの作った世界にいればこのような困難に向き合わなくてすむのです。しかしそれでも現実を生きるべきであるというのが今回の作品なんだと思います。青鷺のような口先が上手いだけで信用しきれない人とも友達になりながら、答えのない問いとどう付き合っていくのか。どう生きていくのかを考えながら生きていくということなんだと勝手に解釈しました。
・ツギハギだろうと詰め込めるだけ詰め込んだ不思議なファンタジーな世界観
異世界に進んで行くのですがこの世界観がいまいちわかりにくい。ただ、わかりにくいものはわかりにくいままでいいんだと思います。不思議の国のアリスのような話とレビューでよくいわれているのですが、その不思議の国のアリスの原作もわかりにくいものだったりします。ディズニーの印象で可愛いものになっているのですがハンプティダンプティとか当たり前にいるけどあいつなんやねん、とかあの世界の人物行動がファンキー過ぎるやろとか、言葉遊びを優先しすぎて意味のない言動が多いなどそもそも不思議の国のアリスもよくわからないことが多いと感じていました。
古典的な児童文学にある、このよくわからない不思議なものをだそうとしていたのかな、と感じました。日本でも桃太郎とかなんで桃!とか垢太郎はなんで垢!とかこの「なんだろう?」と思う感覚が大事なのであり、答えが大事なのではないように思います。不思議なものに直面したときに恐れるのではなくワクワクしていた子供の感覚が大事なんだと思います。
さらに言えば、異世界を進んでいくとあまり繋がりのない世界がつづいているように感じました。異世界最初の死者の門があって何かがあるのかと思えばそれをさておきキリコさんと魚を獲ってワラワラたちにあげ、青鷺と進んで行くと鍛冶屋といって突然インコ人間がでてきてとこの後も不思議な世界が続いていきますがあまり説明されていかないです。先に述べたようにアリスっぽさを出そうとしたのだろうと思いますが、さらに言えば今回こそ最後!な思いもあったのだと思います。細かい説明をさておいてでもとにかく詰め込みたかったのだろうと。私自身は児童文学に詳しくないのですが、インコたちが眞人を食べようとしたシーンは宮沢賢治の注文の多い料理店を連想していました。ヒメちゃんがガラスケースに入れられているのは白雪姫だろうと思いますが、いろいろなモチーフをありったけ詰め込んだように感じます。つながっていないし突然出てきてよくわからないですが、そのわからない不思議な感じこそがを出したかったのだと思います。今回は児童文学を極めし者、としての宮崎駿さんがとても濃厚にでているように思います。
・節々から湧き出る宮崎印ではないアニメーション
ジブリならでは!という見応えのあるアニメーションももちろんあるのですが(大量のインコがわしゃわしゃ動いたり、ジャムをいっぱいに口付けたり、ヒミちゃんが眞人に抱き着いたりするシーンなどとあげればキリがない)、そうじゃないアニメーションが今回はちらほら見れた気がします。強く印象に残っているのでは冒頭の火事のシーン、それと眞人を追い返そうとしたナツコさんの鬼気迫る表情。ジブリには無かったようなアニメーションでとても新鮮に感じました。この新鮮味が宮崎さんが今度こそ最後!という作品で、また新しいことに手を出そうとしている!?と老いても衰えずという凄みを感じていました。
・今度こそ最後!なこれまでの集大成なのにいままでになかった要素を足してきて新しい可能性を見せるというよくわからないこと
物語に関しては宮崎さんというか児童文学要素をありったけを煮詰めに煮詰めていて最後なんだろうなという覚悟を感じるんです。ただアニメーションに関してはジブリらしさやそれ以前の東映アニメーションらしさも多分にあるんですが、そこに宮崎さんがやらないであろうものも足されていて新しい領域に足を突っ込んでいる!?と感じたのも事実です。背景美術も夢のような幻想的なものが印象的でこれまたいままであまりないような?新しいところに挑戦している?とも思いました。エンディングテーマも米津玄師さんだったり今から新しいものを取り入れていく?!と思いました。
「君たちはどう生きるか」は今度こそ最後!な覚悟でいることをビンビンにだしているのに、やっていることは新しい領域に進んでいるという嬉しい矛盾で、宮崎駿さんってスゴイ人がいるんです!といまさら言いたくなる、ものすごい快作でした。人って一般的に老いていくと可能性や新しさとか減っていくものだと思っていましたが、老いたからこそ新たなる可能性が広がるというそんな領域あるんか…という人生の大先輩がまだまだ楽しいことあるんだぞ!というメッセージと勝手に受け取りました。
正直「風立ちぬ」のほうが今度こそ最後!感が強いように思います。
この作り方ならもう一本いけるんじゃないかと錯覚して宮崎さんがまた新作を作ってくれることを願っています。
その他、思ったことをだらだら箇条書きで
・前作の風立ちぬも戦中の物語で、さんざん最後!と宣伝しており、今度こそ最後!の今回の君たち~も戦中の物語であるということで太平洋戦争という出来事に強い思い入れがあるんだなと感じた。
・眞人の片方に傷がある左右非対称のキャラデザインは人間に二面性があることの暗喩?傷の無い側面から見た絵は未来少年コナンに似ている理想の人間(ヒーロー)像、ただその反面は傷がある。
・ナツコさんのジブリ作品にいままで無かったであろう色気に驚く。お腹を触らせるシーンのエロさ。(色気ではない。エロさである)
・眞人の父親、妻を亡くしてその後そっくりの妹と再婚するとかどんな姉妹丼なんだよと一瞬思う。(真面目に考えると時代的に個人の恋愛よりも家柄を相続していくことが重視されていたから家を変えなかった?と思う)
・眞人の部屋を窓の外から室内を映すアングルは赤毛のアンがモチーフ?
・ダットサンの運転シーンはカリオストロのカーチェイスみたいなアニメーション。
・不思議の国のアリスみたいな話。日本というか戦中を舞台にしてもあの物語が成り立つのには関心した。不思議の国のアリスのみならず宮崎さんが影響されたであろう成分がにオマージュやモチーフにしているのが多分に見受けられる。
・疎開先で辛い思いをして異世界に行く、ということでパンズラビリンスを連想していた。
・現実は戦中とても日本的だが、異世界は西洋的な世界観も混ざる。和洋折衷ファンタジーと言える。
・7人?のおばあさんズは白雪姫の七人の小人モチーフ?
・キリコさんが魚をさばいていたとこにいたワラワラじゃない黒い人たち誰やねん。
・ワラワラはわらわらしていて可愛かった。飛んで行くシーンがらせん状になっていたのでDNA構造がモチーフ?生命の根源のような存在の表現なのだろうか。
・風が吹いているシーンで美術で描かれた草もなびいていて関心した。
・人食いインコは宮沢賢治の注文の多い料理店を連想していた。食べられそうになるで言えばヘンゼルとグレーテルもある?
・ヒミちゃんから勝手に炎のチャーリーを連想していた。服装から考えるとアリスがモチーフ?基本的に宮崎作品では女性が強いが元は雪の女王から?(アナとエルサのほうではなく、ゲルダとカイの原作のほう)
・数字がばらばらに並んでいる扉とか本当に児童文学っぽい。
・ナツコさんが寝ているシーンの紙のペラペラが何だったのか全くわからないけど大量のペラペラのおかげで凄いシーンになっている。あと鬼気迫る表情がスゴイ。
・そもそもナツコさんはどうして異世界に呼ばれた?つわりで不安になっちゃった?
・王様インコは王と鳥?がモチーフらしい。橋を切り落とすアニメーションは古い東映時代のアニメーションを連想していた。
・人食いインコにつかまっていたところどうぶつ宝島で似たようなところがあった?
・宙に浮く岩を見てルネ・マグリットのピレネーの城を思い出していたけど違う気がする。
・崩壊していく中、眞人とヒミちゃんが手をつないで走っていくところが個人的にエモかった。
・ヒミちゃんが眞人に最後抱きつくシーンで眞人が顔を赤らめてくれればボーイミーツガールな物語になったんだろうけど決してそうではない。眞人がどう生きるかの話。
・「君たちはどう生きるかは、宮崎駿という100%オレンジジュースを煮詰めて200%オレンジジュースにして、そこに100%アップルジュースと100%パインジュースを合わせて濃度400%のミックスジュースだ!とウォーズマン理論を展開したような作品でした。」というような説明を思いついたけど例えがとてもわかりにくい。
・正直、自分自身そこそこの年齢になって人生の可能性とか閉じてきているんだろうなと思ったりもしているんですが、宮崎さんほどの天才になるとまだ広げてくるのが本当にスゴイ。楳図かずお先生の個展に行った時も、とんでもないエネルギーを感じたことを思い出した。大人として落ち着きをとるのは大事だけど衰えさせる必要はない。老いることと衰えることは別。老いても衰えないことはあのクラスの天才なら可能という恐ろしいこと。