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アイヒマンはそこにいるかも

あまりに忠実な組織人、アイヒマン

 しばらく前、NHKオンデマンドの「100分de名著」でハンナ・アーレントの回を見ました。主には彼女の著書、「全体主義の起源」についてで、人種間の分断(異分子排除)のメカニズムやナショナリズムの高揚などがテーマにでしたが、アイヒマン裁判についてもかなりの時間をかけて取り上げていました。 

 アドルフ・アイヒマン。ナチス・ドイツの忠実な親衛隊員として、数百万人ものユダヤ人の大量虐殺を、強制(絶滅)収容所への大量輸送という側面から担った人物。戦後、逃亡先のアルゼンチンで捕まり、イスラエルで裁判にかけられた際には、公開の裁判で「命令されてやっただけ」と居直ったこともよく知られています。自身もユダヤ人であるアーレントの「悪の陳腐さ」という言葉も有名ですよね。
 今回、アイヒマンについて書きたいとおもったのは、私も含む組織人に「アイヒマン的」な要素が多分にあるのではないかと怖くなることがあるからです。山崎雅弘『アイヒマンと日本人』(祥伝社新書)を参考にしながら考えてみたいと思います。

20年前のアウシュヴィッツとビルケナウ

 私の大学時代の専攻は現代ヨーロッパ政治(主対象はイギリス)だったのですが、戦後のヨーロッパの出発点はナチス・ドイツを生み出したことへの反省だったように思います。
 そして、大学を卒業した約20年前、私はポーランドのアウシュビッツとビルケナウという「絶滅収容所」跡を訪れました。連れてこられたユダヤ人たちの大量の肖像、無造作に展示されたカバンや髪の毛、ガス室などなど、大量虐殺の現場が生々しく残っており、あの時の衝撃は忘れられません。
 その後、『戦場のピアニスト』や『縞模様のパジャマの少年』など、見るのも辛くなるような映画も見ましたが、現地への訪問や、映画などを通じて考えたのは、やはり、「なぜこんなことが起きてしまったのか」ということでした。

アイヒマンの役割と裁判

 アイヒマンは当初は、ユダヤ人の「国外移住」(計画的に国外に移住させる)を担っていたが、ドイツが戦線を拡大させるにつれ、「迫害」に舵をきりました。その中でのアイヒマンの役割は、ヨーロッパ各地からユダヤ人を収容所に「大量輸送」するための司令塔の役割でした。
 戦後、アイヒマンはイタリア経由でアルゼンチンに逃れ、現地で潜伏生活を続けていましたが、1960年にイスラエルの諜報機関、モサドに捕らえられ、イスラエルで裁判にかけられました。裁判での彼の弁明は次のようなものです。

ユダヤ人が強制移住の過程で家や財産を失ったのは事実であり、遺憾ではありますが、それは私の罪ではありません。私は、権力の上層部にいる権力者に操られる道具でしかなかった。ユダヤ人たちを絶滅収容所に送るように命じたことは事実ですが、私もまた命令を受ける立場にあり、服従の誓いに従って命令を遂行せざるを得ませんでした。

山崎雅弘「アイヒマンと日本人」

 アイヒマンの主張は、「命令に忠実に従っただけで、自分に罪はない」というもの。巨悪を想像していた民衆はアイヒマンがあまりに小物であることに驚き、失望したとも伝わります。(最終的に、アイヒマンはイスラエル史上唯一の死刑となりました)。

アーレントのアイヒマン評と小役人的思考

 アーレントは裁判を通じ、アイヒマンについてこのように表現しています。

・検事のあらゆる努力にもかかわらず、この男が<怪物>でないことはだれの目にも明らかだった。
・アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、(中略)恐ろしいほどノーマルであるということだ。

ハンナ・アーレント「イェルサレムのアイヒマン」

 アイヒマンの弁明を聞く限りにおいては、彼は「人の心を失った猟奇的な殺人者」ではなく、「ただただ組織に忠誠を誓った小役人」の姿が思い浮かびます。そして、程度の差はもちろんあるにしても、組織に忠誠を誓い(あるいは、出世欲や名誉欲から)、良心に反することを行ってしまうということは実は世界にありふれているのではないかとも考えられることではないでしょうか。
 私も、ある行政機関に勤めていたことがあるのですが、ある程度組織に染まり切ったひとだと、その地域の住民のことを考えているというよりも、上司の命令に従うこと、上司に「うまくやったように見せること」に価値を置いている人も何人か見てきました。あと、「うまくやること」よりも「うまくやったように見せること」が大事というのは行政を語るうえで大事なことなのではないかと私は感じています(機会あればどこかで書きます)。

パーパス、ミッション、クレド

 こういった中で、最近、パーパス(または経営理念)、ミッション、クレド(企業全体の従業員が心がける信条や行動指針)を重視する企業が出てきているのはとてもよい傾向だと感じています。組織のあり方、組織としての行動規範を明確化し、それに共感する社員が構成員となることで、「良心に反した決定」を可能な限り防げるのではないかと考えられるためです。

 まだまだ、大きい組織では、経営トップの考えや理念の浸透が難しい面もあるかと思います。が、「上司や組織に忖度する」「組織の命令には『はい』か『Yes』で答えるのではなく、自らの両親に照らして考える」ことがより一般的になっていけば、組織の活性化や成長にもつながるのではないかと期待しているところです。少なくともプチ・アイヒマンを生まないために。

  

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