潜伏キリシタンの悲劇と「祝!世界遺産登録」
今年に入って3月に天草、8月に島原に行ってきました。8月はほかにも九州の各地を回ったので、その話も後日するとして、今回考えたいのが、「潜伏キリシタン」と世界遺産登録についてです。
厳しい禁教政策と島原の乱
「潜伏キリシタン」または「隠れキリシタン」は日本史の中でも私が関心を持つテーマの一つです。通訳案内士2次試験のテーマとしても出題されていますし、徳川幕府下でのそれは厳しい禁教政策の下でも、2世紀にわたり信教が維持されてきたということも驚きであるからです。
1865年、建設されて間もない長崎の大浦天主堂に潜伏キリシタンの人たちが訪れ、信仰を守り通した人たちがいたという「信徒発見」は東洋の奇跡とも言われています。
また、1637年の「島原の乱」では、不合理ともいえる重税を課せられた農民とキリスト教信者、37,000人が原城に立てこもり、幕府軍と戦いました。兵糧攻めの結果、飢える一揆軍が鎮圧されたといいます。(ところで、天草四郎は実在を疑う声もあるとかないとか…)
遠藤周作『沈黙』に見る激しい弾圧
弾圧がどれほどに苛烈だったのか。遠藤周作の『沈黙』にはその仔細が描写されています。数日間かけて死に至らしめる「穴吊り」(死に至らしめる前に棄教を迫る)、100度を超える源泉の湯を浴びせる「熱湯漬け」などなど、聞くだけでも恐ろしい弾圧の様子が描かれます。
そして、それを映像化したのが、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙‐サイレンス‐』(2017年)。宣教師が信仰を貫くのか、虐げられ死んでいく地元の農民を見て考えが揺らぐのか、価値観が揺さぶられる超大作です。
小心者の農民を演じる窪塚洋介も見ものだし、常識人風でも恐ろしい弾圧を加え続けるイッセー尾形の井上筑後守には戦慄を覚えます。
「祝!世界遺産登録」は浮かれすぎ?
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産に登録されたのは2018年。長崎県のHPでは、以下のように説明されています。
上記の説明文などを見ていても、当時の権力が行った禁教政策の残虐性についてはあまり触れられていません。厳しい禁教政策の下、どのようにして信仰が維持されたか、共同体が維持されたかについては注目されているものの、弾圧についてのHP上での記載はそこまで多くないように感じました(もう少し深い階層のところで説明はされています)。
また、天草の崎津集落を持つ熊本県のHPには、でかでかと「祝!世界遺産登録の文字が踊っています。
確かに、世界遺産の登録推進に向け、行政、経済界などが多大な努力をしたことと思います。また、世界遺産登録により、関連史跡の保存に向けた動きが活発となり、かつ、観光や歴史の伝承といった面でもメリットはとても大きいと思います。
ただ、数百年前の話とはいえ、これだけの悲劇を生み出した場所について、世界遺産登録されたことを「祝!」と表現してしまうことにはいささか躊躇いを覚えてしまいます。無邪気というか浮足立っているというか…。
世界遺産登録を目指している場所全体に言えるかもしれませんが、世界遺産登録そのものが目的となってしまっている気がして、その先の大きな目的(遺産の保護・保全であったり、歴史の継承であったり)が見えにくくなってしまっているような気がしています(これは、情報の発信の仕方に原因があるのかもしれません)。
世界遺産を目指すことそのものに異論があるわけではないのですが、手段と目的が逆転していないか、世界遺産登録をあまりに追求するばかりに、もともとの歴史が持つ負の側面を薄めていないかなど、少し気になるところです。