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小さな『良かった探し』 その積み重ねは 自分の心の栄養になると思こと「感謝や嬉しい気持ち〜ありがとう」は簡単に言える言葉。
2021年1月8日 投稿記事&加筆有り
日常の中で
ほんのささいなことに感動する。
(最近特に、更に、ちょっとした言葉や仕草に、人に対する優しさや幼子や動物達&回りの者物に向けられる愛情を見かける時等は、この胸が勢いよくジーンとする。)
例えば、
信号機のない横断歩道を渡ろうとする時、
止まってくれる運転手さんに😍。
街中片側一車線の道路は車の通りが多く
勿論横断する人も多い場所がある。
なかなか車は止まらない。
・・止まってくれない。
警察署が近くにあるせいか、警察車両とかがよく店前を通る際は、私の気持ちの代弁の如くスピーカーで叫んでくれる。
「横断歩道があります。歩行者がいます、車両は止まってください。横断歩道上には停車しないでください。」
その時は、堂々と渡れる。
うちの店に来てくださるお客様は、どうしてもこの横断歩道を渡るしかない。
いつかの夕方、夕方は交通量も増す中、店に入ってこられた方が
「この道路を渡るのは命がけ。保険に入らないと・・」冗談混じりで言われた。
状況がわかるだけに、申し訳なさを感じる。
それでも来局してくださる。
感謝の気持ちが溢れ出る。
できる時は、
帰られるお客様と一緒に私も横断歩道を渡り、道の向こう側へ送ることをする。
運転する私も極力横断者を見つけたら止まるようにしているが、タイミングが悪い時等
歩行者優先に協力できない時もある。
だから、スムーズな流れの中
横断待ちの人がいるとわかって停車してくれるドライバーには、頭を下げる。
その"気持ち" が、ありがたいと強く思う。
そして私は聞こえないありがとうございますを言いながら
さっさと渡る。
小走りに渡る(コケない様に)。
渡り終えた時にも頭を下げてしまう。
運転中の譲り合い(サンキュー事故には気をつけて)
ハザードでお互い合図をする時も・・なんか感動してしまう。
感謝の気持ちを言葉にすると、
口角が上がり表情が柔らかくなるのかもしれない。
雰囲気が和らぐから、良さが付いてくるのかな
と、時に考える。
こんなことでも
そんなことでも
ただこれだけのことかもしれない
ちっぽけなことかもしれない
けれど・・・
当たり前のやり取りの中でも
感謝や嬉しい気持ちが生まれたら
感謝の気持ちを言葉にして伝える。
電話先の相手の方の声のトーンも必ず上がる。
顔は見えないけれど、声が変化するのである。
『伝える』
『伝わった』
と感じるその瞬間が大事だなぁと思う。
そう感じる心は 柔らな安堵感に似たものに包まれる感じがするのは私だけではないはず。
小さな『良かった探し』
心に余裕がない時こそ、意識してみてもいいかな・
と思うことのひとつ。
その積み重ねは
自分の心の栄養になるかもしれないと思うから。
〘余談ですが〙
そういえば、我が子が幼い頃から
「ニコッ☺とちゃん探し」(その日のニコッとする出来事を拾いだす)をしていた。
幼稚園から帰ってきた娘といろんな話をする。
「こんなことがあったよ」
「あんなことがあったよ」
一生懸命話してくれる娘。私は相づちを打ち娘の話しを聞く。
幼いながら嫌な思いをすることはある。
自分に向けられないことでも、お友達が可哀想だと思ったこと・そばに一緒にいた・とか人の嫌がる姿を見て娘なりにその子の気持ちを考えている。自分がされて嫌だと思うことをお友達に重ねて感じて色々考える幼稚園児。
優しさを表現する勇気を褒める。
嫌なことを吐き出して、
それから
ニコッ☺とする出来事を探して笑顔になる娘。
昔、母と子で 毎日「ニコッ☺とちゃん探し」をしていたことを思い出したので書かせていただきました。
☆お読みいただき ありがとうございました☆