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〜普通にご挨拶をして、お礼を言われた時のこと〜
なんてことない日常の中にある風景・当たり前に過ごす場面ですが、
一言の 『言葉の存在』 は
相手や自分の想いを深く知る機会にもなり
人と人の間に大切なものだと感じたことを書かせていただきます。
うちのお店(薬局)に来てくださるお客様(患者様)の一人ですが、ご近所にお住まいなので
よくあちらこちらでお会いする。
先日、その方がお母様と2人で散歩中に薬局の近くを歩かれていた時のこと・・・
急な配達が入り、私が車に乗り込みシートベルトをカチャっとした直後にお二人の姿が目の前に見えたので、手を振り軽く会釈をしながら慌てて車から降りて、
普段はなかなかお会いできないその方のお母様にも私はご挨拶をさせていただいた。
それだけのこと。。 でした。
後日、
「わざわざ車から降りて挨拶をしてくれた丁寧な方、、」と
お母様が喜んでいた事をその方が知らせてくれた。(丁寧と云う言葉をその方にもお返ししたいと思った)
挨拶 日常交わすありふれた光景のひとこま。
感じた想いをあえて言葉で伝えること、、
よくある、さり気ない行動に対する感謝の言葉に触れた心が嬉しく弾み
とても新鮮な感じと、お互いに笑顔をもたらす時間になったことに喜びを感じた。
その一瞬でも互いが
『有り難いと感じられる気持ち』に包まれたことが
“貴重”に思えるのです。
それは特別なことではなく
身の回りにいつもある事柄のひとつ・ゴロゴロ転がっているものなのかもしれない。
〜当たり前のひとつひとつが、
「ありがとう」と互いの心に響く〜
響いた心が
響き合う心が
心地いい。
些細な出来事でも、
『ちょっとした想いを言葉で伝えることで心がかよい合う』
と感じたので書かせていただきました。
☆お読みいただき、ありがとうございます。