Thank you letterをもらった

Thank you letterをもらった。
手紙をくれたのは私のクライアントのクラスメイトで5歳の女の子だ。
家でその手紙を書いて来たようでバックパックの中から取り出して私に渡してくれた。
私が感謝の言葉をかけたら、少し恥ずかしそうに笑みを浮かべながら
「you are welcome」と言ってすぐに友達のいるテーブルに行ってしまった。

思いがけないことだったので私はとても嬉しかった。
私はその学校の外部のセラピストだし、彼女の先生でもセラピストでもないのだ。
目が合えば挨拶はするが、普段はクライアントと一緒なので彼女との接点はあまりない。
私が彼女に何かをして覚えていることといえば、

彼女は私のクライアントの横にいて、木製ブロックで左右対称に造形的な建物を作っていた。
私「It’s a beautiful building. what’s this?」(おそらく大きな家かお城だろうな)
女の子「It’s a temple」
私「Temple!?……..え、寺!?」と思わず言ってしまったのを覚えている。
すぐに私はそのTempleがいかに素晴らしいかを彼女に伝えた。

他には、彼女のモコモコジャケットのジッパーを上げるのを何度か手伝ったり、

新品のキラキラするシューズを褒めたり、

私のクライアントの横でブランコで遊んでいる時に彼女の背中を押してあげたり、

他にも彼女に対して何かしたのかもしれないけど、よく思い出せない。

このエピソードを書いてる時でも、
彼女が嬉しそうにTempleの細部を指差して私に話している姿、

笑みを浮かべながら、ママとなぜこのシューズを選んだのかを話している姿、

モコモコジャケットを着て笑顔で「Thank you」と言う姿、

風をきってブランコを楽しそうに漕いでる姿を思い浮かべる。

その姿を思い出すと胸が暖かい気持ちになり、確かにその瞬間は存在したのだと実感が湧いてくる。
このように書いている時の方が自分の感情や状況をもっとリアルに感じるのはINFJあるあるだろうか。

もう一つ彼女に関して印象的なエピソードを思い出した。
私のクライアントがアクシデントで彼女がブロックで作った建物の一部を壊したことがある。
私はクライアントと一緒に謝ると、彼女は優しい笑顔で「It’s ok」と言ったのだ。
その優しい笑顔は私たちを配慮している感じがして、私は感銘を受けたのを覚えている。

本当に素敵な子から手紙をいただいたのだ。この手紙はずっと大切にしようと思う。

noteにこの思い出を記すことで、この手紙が私にとってもっと特別なものになった気がします。noteのこんな使い方も良いですね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。