命の薬と六波羅密
近すぎて遠い忘れもの・・・
沖縄は昔から『ぬちぐすい』とう方言がある。
『ぬちぐすい』とは『食は命の薬』という意味です。
食事を頂いたあとに、おばあちゃん達は『ぬちぐすいやさ~』と言って食に感謝を込めた。(身体が生き返るよ・・・)みたいな感じで使います。
人の身体は食べ物から出来ている。
沖縄はミックス文化なので、色々な食事が食べれる恵まれた環境にいます。その中でも、地元沖縄料理・琉球料理時代の世代は長寿と言われ、健康で長生きしている方が多く居ました。
近年、食文化の変化から私の身近な家族や親戚・親友などを見ても皆病気により他界しています。
長寿県だった沖縄の料理は、今私達現代人が当たり前に食べているなじみの料理なのですが、家庭で作る頻度は確かに減っては来ていると思います。
ゴーヤーが癌にいいとか、シークヮーサーが癌にいいとか近年の研究結果で分かってきたのでだいぶ沖縄料理の知名度が上がったように思います。
その他にもまだまだ埋もれ居ている沢山の食材があり、その究極の形が薬草茶だと個人的には感じています。
薬草と聞いたら毛嫌いする人もいるかもしれませんが、現代で言う『ハーブ』と言ったら聞こえが良いかもしれません(*^▽^*)
そして、長寿って言ったら(ダラダラ長生きしたくない)って言われそうですが、現代で言う『アンチエイジング』って言ったら聞こえが良いかもしれない(笑)
沖縄の行事の1つに『彼岸』があります。
現代ではお彼岸はご先祖様供養という形に変わってしまっていますが、それは現代人が都合が良いように変えてしまった行事なのかもしれません(笑)
去る2021年3月17日~23日は『お彼岸』がありました。
『お彼岸』とは本来、生きている者の修行期間を表しています。仏教行事の1つで(悟りの世界)へ渡るための修行です。
3月17日(春の彼岸入り)~3月20日(中日)~3月23日(春の彼岸明け)と春分の日・秋分の日を真ん中にして前後3日間で実践修行する日をいいます。
実践修行とは『六波羅密』をいいます。
・布施(施し)・持戒(戒律を守る)・忍辱(がまん)・精進(努力)
・禅定(心の統一)・知恵(正しい洞察力)をいいます。
漢字にしたら難しく見えますが、簡単に言ったら、困っている人には募金とか手助けをして、社会のルールを守り、変な大人の人にも起こらずに、自分のしている事(仕事だったり、子育てだったり、地域貢献だったり)に勤め、どんな状況でも心を落ち着かせ、正しい判断が出来るまでをいいます。
この正しい判断というのが『中道』です。
善と悪は表裏一体です。その偏った見方・考え方がどこかに寄れば寄るほどおかしな方向に進んでいきます。
そのバランスが大事なのです。
公園にある(シーソー)あるじゃないですか?大人と子供が両端に乗ったら、子供は大人の重さに負けて飛んでいきます(^_^;
そんな感じのイメージです・・・(^_^;
親からの愛情不足など、家庭環境に恵まれなかった人は、とても偏った見方の世間(世の中)が見えます。私がそうでした。
ですが、私はそれと反対の行動に移してました。自分は恵まれて育ったから、あえて仕事は華やかな結婚式場や観光産業を選び、人の幸せを自分が体験・体感しているように感じ、いつも私の心は幸せに満ちていました。
食事も、貧しかった私の家庭からは考えられない食事を見る事が出来ました。
食とは、私にとって大切で楽しみの1つです。
今昔を振り返り、おばあちゃん達が食べた事がない食事を私達は目にしています。『ぬちぐすい』(食は命の薬)を思い出し、本来の目的(悟りの世界)へ渡る私達の旅路は、世界共通であると思います。
1年365日 命あるものを大切にして、すぐ怒らずに、心を静め、六波羅密の精神で生活することに精進して、人として正しく世の中を見つめていきたいと思います。
人間の原点とも言える食事のバランスが、怒りん坊を増やしたり、心を穏やかに過ごせない人を増やしたり、不安や悲しみを増やしたりしているかもしれません・・・。
食育という言葉だったり、子供食堂という言葉だったり、そこに気付いた人達が一生懸命その中(負の連鎖)を変えようとしています。
私も子育てしている身なので分かりますが、キューピー3分クッキングで、『愛は食卓から』というフレーズが流れます。
まさにそうだ!と思います。愛情ある食事は究極の愛の形です。私はこれからも食に携わり、愛情込めて接客に励みたいと思います。
そして、自分の出来る範囲でお布施に務めたいと思います。