【エッセイ】さいたま市にあった謎の田んぼが何かわかった『佐竹健のYouTube奮闘記(84)』
廃村で道に迷った話で思い出したのだが、謎に思っていた場所が埼玉に2つある。一つは、岩槻に行ったときに通ったさいたま市にあった田んぼ。もう一つは川越の川にあった謎の水路である。
前者については解決済みだが、後者についてはよくわからないことが多い。
今回は謎が解けたレアケースであるさいたま市の田んぼの話を書いていこうと思う。
※
3年前の春の日。岩槻城の桜が見たくなった私は、自宅から自転車を出して行ってみることにした。
旧中山道と国道16号線の間にある住宅街や大きな看板の飲食店が軒を連ねる中を颯爽と駆け抜ける。そして荒川にかかっている戸田大橋を渡り、埼玉県の戸田市へ入った。そしてお隣川口市へと入って、北へ向かう。
板橋よりも住宅街の多くなった街の中を進み、さいたま市の緑区辺りに入った。次第に家の面積も広くなり、時折畑も目にするようになる。
しばらく自転車を走らせていると、田んぼに出た。時期も時期だったので、まだ田んぼには水が張られていない。
田んぼの向こう側には、小さくなった都会のビル群が見える。
(え、ここさいたま市よね?)
さいたま市にこんな広大な田園があったことに、私はびっくりした。別に地方都市ならこうした光景は珍しい話ではないからわかるのだが、まさか東京からそう離れていない場所にこんなところがあるなんて。
(ってか、今どこにいるんだろう?)
一応さいたま市の緑区にいることはわかる。が、ひとまず位置確認ということで、位置機能をオンにして、Googleマップを開いた。
今いる場所は、さいたま市の緑区で間違いない。道順は間違っていない。
(さて、どうするかね?)
私は田んぼのど真ん中で考えた。
一つはこのまま北進し、千葉方面へ向かう国道に入ってそこから岩槻城を目指す。二つ目は東側にある県道に入り、そのまま北進して岩槻城へ向かう。手段はこの二つである。
(とりあえず、北進しますか)
私は一つ目の手段を取ることにした。その後なかなか千葉方面へ抜ける国道にたどり着けなかったので二つ目に変更した。
岩槻城へは無事たどり着けた。池のほとりに咲く散りかけの桜を見たあと、たまたまあった川沿いの道を通って家へと帰った。そのときに見た桜はとても壮観であった。
田んぼの謎が解けたのは、2年後のことだった。
ニュースを眺めていたときに、見沼田んぼの記事が流れてきた。
(見沼か)
この地名、確か、岩槻城に行ったときGoogleマップで見た覚えがある。そのときは「見沼代用水」という真っすぐな堀であった。
気になった私は、記事を読んでみた。
記事には、この見沼田んぼが都心から近い田園であることなどが書かれていた。
(あ、そういうことか!)
「見沼代用水」
「都心から近い」
「田んぼ」
全てが頭の中で繋がった。あのとき私が迷い込んだビルの見える田んぼは、見沼田んぼというところだったらしい。そして都心から近い田園ということで都内周辺の人には知られた場所であったらしい。
「こりゃ、宝物だね」
昔は今の東京都区部、練馬や板橋などの北側にも田んぼや畑があったと聞いている。駒込ナス、谷中ショウガ、練馬大根といった野菜の名称が残っているが、これは全てそのときの名残である。だが、都市化が進むに伴い、東京の北側や埼玉の辺りは団地と住宅街と化し、今に至る。
令和の世でも練馬や板橋の一部に畑が残っていることもあるが、見かけたとしても一つか二つぐらいしか無い。武蔵野にかつてあった田畑は、無くなりつつあるのである。
こうした意味では、浦和から岩槻辺りまで広がる見沼田んぼは、在りし日の武蔵国にあった田畑の様相を伝える生きた史料である。そして、この光景が後世にも伝わって欲しいなと心より願うばかりである。
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