善も悪も含んで・・
以前行われた親子トークイベントの中で、このような質問がありました。
「子どもが虫などの小さな生き物を殺してしまうのですがどうしたらよいのでしょうか?」
このような問いは、私や他の講師が「どうすれば良いか」という方法を教えて、簡単に答えを出すようなものではありません。子どもにとってどんな体験になるかは、その時の状況・子どもの年齢・個性によって違うからです。
興味深い、そして身近な問いだったので、別の幼稚園の先生方が集まる講座で問いかけてみました。
すると・・
「虫を殺すのは良くないから私は止めます。」
「死んでしまうのはかわいそうだけど、そういう体験も必要だと思う。」
「虫ならまだいいけど、うさぎとかの小動物だとダメかな・・」
などなど・・
先生方はそれぞれに自問自答しながら、いつもの自分の対処の仕方を話していました。
“子どもに良い教育をしなければならない”という先生としての立場上、「子どもにやめさせるような注意をする」か「かわいそうだということを気づかせる言葉がけをする」という対応が主流のようでした。
この問いは、良い・悪いで考えると、「生き物の命を粗末にしてはいけません」となります。
子どもたちは、可愛いな、かっこいいなと生き物に興味を持つと、触ってみたり、世話をしたがったりします。そしてよくあるのが、いじり過ぎてしまうことです。
例えば、小さなハツカネズミを大切に思うあまり、逃げないようにギュッと握ってしまい死んでしまった。とか、幼虫から飼っていたカブトムシが羽化し、まだ体が柔らかいうちに触ってしまい、羽の形が曲がり、死んでしまった。など・・と、わざと殺してしまった訳ではないケースがあります。
可愛がるあまり、触り過ぎたり、世話しようとしてやり過ぎたり、力加減がわからずに死なせてしまうということも多くあります。
もう一つ、子どもの姿で見られるのは、悪いと知っているけれど、わざとやるパターンもあります。
足でアリを踏み潰してみたり、アリの巣に水を流し込んでみたり、昆虫の足を全部取ってしまうなど・・少し残酷ともとれる遊びをすることがあります。これは実験的に、どうなるんだろう?という興味本位からの行動の場合もありますが、一方で、
“悪い”ということを知っているけど、やってみたい。
“悪いこと”“いたずら”だから楽しい。
という感情もあるようです。(子どもの年齢や個性によっての違いはあります)
親に隠れて悪いことをする・・この楽しさ・わくわくとドキドキが入り混じった感覚を知っている方も多いのではないでしょうか?
河合隼雄著の「子どもと悪」という本をご存知の方も多いと思いますが・・
この本に“悪と創造”という文章があり、その中には “良い子”でいるよりも“悪いこと”を考え出す力の方が遥かに“想像力と創造力”が必要だということが書かれていす。私も自分の体験を振り返ってみて、納得しました。
前述した「生き物を殺す」ということや、「悪いことと知りながらいたずらをする」ということは、「良い」とか「悪い」では片付かないようなことです。
どうしても「答え」をすぐに求めがちな私たち大人。
「生き物を殺している」=「悪いこと」→子どもを叱る。
「悪いことは絶対にしてはいけない」=「良い子にする」→子どもに正しいことだけを求める・教える。
このような思考になっているのではないでしょうか。
必ずしも「答え」を出す必要はないのかもしれないと捉えてみたらどうでしょうか。
大切なのは、“今”子どもがどんな体験をしているのか?を観ることができる私たちであること。
それには
「子どもの行動(良いこと・悪いこと)に自分がどんな反応をしているのか?」
まずは自分自身を観ることから始まります。
自分の反応は、いろいろな形で起きてきます。
思考で「これは絶対に悪いことだ!」と決めつける反応。
“怒り”や“悲しみ”・“あきらめ“のような感情が湧いてくる反応。
このような反応に任せて子どもと接することは、全く効果的ではありません。
反応している感情のまま、思考で正論ばかり並べても、子どもには届かないのです。
次に私たちが立つ場は、良いも悪いも超えた世界です。
そしてその世界とは、“良い” “悪い”と断じる相対的な世界をも含んだ絶対的な世界なのです。
相対的な世界から、絶対的な世界のステージに立つということは、「良いこと」も「悪いこと」も両方含んで、OKにできている私たちです。
概念で「良い」「悪い」と“評価・判断”していると、“ありのまま”の“今”が観えません。
“今”目の前で起きている“ありのまま”が観えると、出来事の“本質”が観えてきます。
生き物を死なせてしまった子どもの心のプロセス。
悪いことだと知って、いたずらをする子どもの心の内側。
表面的な「守らなければならないルールや決まり」の影に隠れている、大切な本質が観えてくるのだと思います。
私たち一人ひとりが“相対的な視点から絶対的な視点へ”と移行することで、世の中の様々な問題解決の糸口が見えて来るのではないでしょうか。
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