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“ありのまま”である自信を育む

最近、“ありのまま”という言葉が当たり前のように使われるようになり、私たちの中で“ありのまま”が根付きつつあるように感じます。
以前ある集まりで、改めて「ありのままってどういうこと?」を考える機会がありました。その時、人それぞれ、イメージが違うのだということを感じました。

みなさんは、“ありのまま”と聞くとどんなイメージが浮かびますか。

ある人にとっては、「自分が思っていることを実現すること」とか「成りたい自分になる」といった、ディズニー映画の「アナと雪の女王」の物語のイメージ。
また別の人にとっては、「そのままの自分でいいんだよ〜」とか「自分が自分らしくいられる」というふわっとしたイメージを持っていました。

子育てに関しても、「子どもを“ありのまま”に育てる」という“ありのまま”をキーワードにしている団体や自主保育グループなどがあります。
しかし、“ありのまま”を見守るというコンセプトが、ただの放任になってしまっている・・ということも起きているようです。
「子どもを“ありのまま”に育てる」ということを掲げ、「子どもを“ありのまま”に育てるべきだ」になっていると、もうそれは“ありのまま”ではありません。

以前、ある保育者に
「散歩に行った時に、子どもが転んで大泣きしたので、助けに行こうと思ったら、止められ『見守っていて』と言われました。私は助けてあげたいと思ったけど、そういうときは見守っていた方がいいのでしょうか」
と質問をされました。
その助けに行くのを止めた保育者にとっては「子どもをありのままに育てるために、見守るべき」と考えていたようです。
その時の子どもの“ありのまま”は、「転んで泣いている」という状態です。そして近くにいた保育者の“ありのまま”は、「助けに行きたい」でした。
でもそれを止めた保育者は、“ありのままの姿”ではなく、“あるべき姿”を求めていたということです。

私が好きなインドの教育者クリシュナムルティは、子どもたちにこのように言っています。

君たちはありのままでいることを恐れています。
それは自信を持っていないということです。それで、社会や親や教師が君に「なるべきだ」と言っているものになろうとするのです。
では、なぜありのままでいることを恐れているのでしょう。
なぜ「あるべき姿」からではなく、「ありのまま」から始めないのでしょう。ありのままから始めるのには、理想を全て捨てなさい。

“ありのまま”であるとはどういうことなのでしょうか。

 ・今の“私”のありのままとは・・
 ・今の“子ども”のありのままとは・・
 ・今の“同僚”のありのままとは・・

“今”見えているもの/こと自体が“ありのまま”なのです。

もしかしたら、その“ありのまま”を見たくない・・と感じるかもしれません。
それは、“理想の自分”=“あるべき姿”からかけ離れた姿かもしれないからです。
 ・イライラしている自分
 ・怠けたい自分
 ・穏やかでいられない自分
 ・甘いものがやめられない自分
・・など、理想とは逆の自分が目につくことも多々あります。
でも、それが“今”の自分です。
 ・子どもが泣いたら焦っている自分
 ・電話をする時いつも緊張している自分
 ・何か発言する時に舞い上がってしまう自分
その自分を発見し続けることが“ありのまま”が見えている状態です。

その状態に「〇〇だから、だめだ」とか「〇〇だから、良い」という評価をつけないことが大切です。

私たちが、世界の“ありのまま”を見始めたら、何かを悪者にしたり、「こうであるべき」という考えが薄くなるのではないでしょうか。

ただあるものがあり、ないものがない

そんなシンプルな世界が現れてくるのではないでしょうか。

良い・悪い、正しい・間違っている・・などを無しにして、
「自分がこうだと言うから、こうだ」という、
自分の“ありのまま”を表現できたら、もっとシンプルに自己表現できるようになるでしょう。

教育で必要なのは、子どもの“ありのまま”を育てるのではなく、子ども自身が“ありのまま”の自分に自信が持てるように育てることだと思います。

教育とは、そういう内的な成長を促すものなのではないでしょうか。


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