意識的にエネルギーを注ぐ
以前、自然体験のイベントに参加した子どもの中に、挨拶をしても返さない子がいました。「おはよう」と声をかけても、チラッとこちらを見て、また別の方にプイッと向いてふてくされている様子。
どうしたものか・・と思いながら、度々話かけながら気にかけていました。
うんともすんとも言わないその子を振り向かせようと、私は躍起になっているいました。
その“躍起になっている自分の姿”に気づいた時、
「この子はこのままでいい。そして、私自身がこの活動を楽しもう。」と思い直し、その子を「どうにかしよう」という考えを手放しました。
その後、自然とその子は笑顔になっていき、帰りには普通に言葉を交わし、笑い合うことができました。
この時に私がしたことは、その子にエネルギーを注ぐことを止め、“自分自身がどうであるか”に視点を戻したことでした。
子どもを変えることはできません。そして、変える必要もありません。
私たちが変えられるのは、自分自身のことだけです。扱えるのは、自分自身だけなのです。
これは子どもに限りません。
「あの人はもっとこうしたがいい」「この人のここが良くないから直した方がいい」などと、人の評価・批判しがちな私たち。
人のことを変えよう、直そうとしている、その瞬間の自分に気づくことで、状況が変わるかもしれません。
大切なのは、一瞬一瞬の自分を観察していること。
今、私は先回りして言葉を発しているなぁ。
今、“自分の思うようにして欲しい”と思っているなぁ。
今、あの一言に動揺している自分なんだなぁ。
今、私はあのやり方について気に入らないと思っているなぁ。
・・と、自分の頭の中の言葉に気づくことがまず第一歩。
「子どものため」「人のため」「会社のため」・・と言いながら、実は「自分のため」に相手をコントロールしようとしているということもあります。
その思考の源は、「相手のこと」ではありません。
「自分の考え」=「自分のこと」なのです。
そして、「“自分がさせたいこと”や“相手の気に入らないところ”が、いつまでも目につく・・」という時もあります。
そのことにいつまでもエネルギーを注いでいると、「自分の考え」が強化されてしまい、より問題が大きくなり、そのことに対する執着も強くなって来ます。
さらに、執着することで、エネルギーを注ぎ、より強化されてしまうという悪循環になってしまうのです。
そのエネルギーを相手へ向けず、自分に戻した時、自然と改善されていくものです。
そして、自分がどれだけそのことにパワーを奪われていたかがわかるでしょう。
“自分は今、何に・どんなエネルギーを注いでいるのか。”
そのことを意識するだけで、自分の思考と感情がコントロールできるようになってきます。
無意識ではなく、意識的に過ごすようになると、自分の人生が生き生きと見えてくるのではないでしょうか。
私たち一人ひとりが、意識的に生きるということは、一つひとつの出来事に責任を持ち始めることでもあります。
「エネルギーを注ぐべきところへ注いでる」という意識的なあり方が、この地球の未来を創っていくのだと思っています。
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