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“だから”フィルター

以前、様々な問題を抱えている親子の話を聞く機会がありました。我が子を心配しているお父さんがその苦しみと悩みを話してくれました。
私は、その苦しい状況から少しでも抜けられるようにと、話をしていましたが、それを一緒に聞いていた他のお父さんが一言
「親子って言うのは難しいんだよ。親だから、割り切れないことがあるんだよ。」と言いました。
私はこの言葉を聞いた時、言い訳や慰め、正当化、問題からの逃げを感じました。
「親だから、割り切れないことがある」この一言で、前にも後ろにも進めない、思考停止状態になるのです。
そして、これは“だから”フィルターだと思いました。

私たちが掛けてしまいがちの“だから”フィルター・・
女だから・・男だから・・
年をとっているから・・まだ若いから・・
太ってるから・・痩せてるから・・
お金がないから
忙しいから
仕事だから
などなど・・様々な種類の“だから”フィルターをかけ、そのフィルターから物事を見ていて、そのままが見えていることは、ほとんどありません。

先述したエピソードの「親子だから、親だから難しい」という“親だからフィルター”は、ほとんどのお父さん・お母さんが持っている思考です。

親だから、放っておけない
親だから、心配
親だから、子どもの好きにさせておけない・・・と
でも、その“親だから”は、子どもにとって重いこともあります。
そして、“親だから”という言葉を頭につけることで、“親だから・・親として・・どうしたらいいんだろう?”と自分自身を重くすることもあります。

その時、大切なのは、「今、自分はどんな“だからフィルター”をかけているのか。」をキャッチすることです。

まずは「今、“フィルター”を掛けている」ことを認識すること。
すると、そのフィルターを外すか、そのフィルターをそのままかけているか、を選択することができます。
フィルターが悪い訳ではありません。フィルターから見ているという自分を知ることが大切なのです。

この“だから”という言葉は、感情と一般論や世間体という考えが入り交じっています。
ここで大切なことは、“親だから”としての感情や考えではなくて、“自分自身”の感情・考えはどうなのか?です。

「“親だから”と言っている自分は、どんな感情なのか?」
みぞおちの辺りがチクチクしたり、重くなったりするくらいの心配や不安
はらわたが煮えくり返るくらいの怒り
肩に何かがのしかかる様な責任感
どうしたら良いのかわからないという恐れ
・・と、様々な感情が出てきます。

「“親だから”と言っている自分は、どんな考えなのか?」
自分の子どもだから何とかしなければ…
普通は〇〇だから…
親であるからには、子どもを導く責任があるから…
親というものは〇〇だから…
・・と、頭の中で概念的に考えています。

この“親だからフィルター”を外すと、目の前の子どもの“そのまま、あるがまま”が観え、聴くことができてきます。

“だからフィルター”をかけていると、自分自身の感覚・感情にもフタをすることにも繋がります。そして、自分自身のあり方ではなく“〇〇だから”という、どこかの誰かが作ったイメージのあり方を無理をして真似ようとしまいます。

〇〇だから、いや〜な感情がある
〇〇だから、めんどくさいんだ
〇〇だから、動揺している
・・・と、ネガティブな感情や考えもひっくるめた自分の“あるがまま”を認める。

子どもの“あるがまま”と自分の“あるがまま”で向き合えた時、次のレベルの人間関係が生まれます。
その新しいゾーンで、真っ白なキャンバスにどんな絵が描かれるか?
子どもと自分、そしてその世界を共有する周りの人々によって…その絵は、今までに見たこともないような、新しい表現となるでしょう。

http://www.new-edulittletree.com

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