本当に、“一緒にいる”ということ
保育園で子どもと保育者のこんなやり取りを見かけたことがあります。
1歳児のAくんがおもちゃで遊んでいる時のことです。
Aくんはそのおもちゃで何かやりたいことのイメージを持っていました。でも、思うように出来なくて近くにいた保育者を呼びに行きました。
その保育者は抱っこをされたくて来たのだと思い込み、そのまま抱き寄せました。その子は抱かれたかった訳ではなく、そのおもちゃで一緒に遊んでもらいたかったので「いや〜!」と拒否して逃げて行きました。
また別の時のことです。
どんぐりを帽子の中にたくさん集めて得意そうな表情のBくん。
「ほら、みて〜!」と、少し離れたところにいた保育者に見せに行きました。すると保育者は「あ、どんぐりあったんだね。どんぐりの殻、むけるんだよ」と言いながら、Bくんの集めたどんぐりを一つ取り、どんぐりの殻を剥き始めました。Bくんは「ふ〜ん・・」と言って、その保育者から離れて行きました。
このように、子どもが大人に訴えたかったことと、大人の対応の不一致が生じることは多々あるのではないでしょうか。
どんなに小さな子どもでも、自分がしたいこと、興味の方向性があります。
その子どもに対して、子どもの意図とは反して、大人が自動的に抱き上げたり、何かをやってみせたり…ということがあります。
「無意識に子どもを抱っこしたら、なぜか泣き出してしまった」とことが多かれ少なかれあるのではないでしょうか。
もちろん、抱き上げる必要のある場面や一緒に遊ぶことで子どもが喜ぶ場面もあります。
でも当初の子どもの思いと外れた、対応の行き違いもあるのです。
これが、子どものイヤイヤ期だったらどうでしょうか。
子どもは自分のやりたかったことが思うようにできないイライラ・・
やりたいことが大人にうまく伝わらないもどかしさ・・
それらが合わさって、癇癪を起こしたり、急にぐずったりします。
大人は「イヤイヤ期だから仕方ない」と、本当に子どもが伝えたかったことに目を配ったり耳を傾けたりすることに配慮していないケースもあります。
なぜこのような対応の不一致が起きるのでしょうか。
それは、大人が子どもを「すでにいつもの子」として見ているからです。
「いつもこの子はこうだから…」
「5歳児はこうだから…」
「毎年この時期はこうだから…」
などと、過去を通して目の前の子どもに関わっているのです。
その時の大人は、本当には「子どもと一緒にいない状態」です。
目の前に来た子どもと、本当には一緒にいなくて、自分の頭の中の考えや概念と一緒にいます。
その考えや概念には、
「なんでこの子はいつもこうなんだろう」とか
「もっとこういう風になってほしいのに」
「もうそろそろ〇〇ができるようになってもいいんじゃないか」などの
子どもへの評価や批判も含まれます。
今、近づいて来た子どもがどのような表情で、どんなことを考えて、どんな様子で大人に関わりを求めて来たのか。
自分の頭の中の考えから抜け出して、本当に「一緒にいる」と子どもの心が手に取るように伝わって来るものです。
これはやり方ではなく、子どもに寄り添っているというあり方からの行動です。
本当に「一緒にいる」ことが自然にできる、寄り添うあり方が手に入ったとき、子どもに自分の感じていることが自然に伝わるということも起きます。
こうして、子どもとの間に共感が生まれます。
子どもの感動を一緒に体験します。
子どものチャレンジを一緒に体験します。
子どもと一緒にゆったりとくつろいでいる時ほど、このような感覚を体験します。
一度でも二度でもこの体験がある人は、普段の生活の中でもその体験を思い出しながら試してみて下さい。
そうすることで、ゆったりした時間以外でも、この感覚(一緒にいる)を創り出すことができるのです。
“一緒にいる”という人に寄り添うあり方でいると、人のことも自分のことのように喜び、悲しみ、怒りを感じます。
人との間に分離感がなくなり、一体感を感じます。
人だけではなく、動物や植物とも一体感を感じることができます。そして、慈しみの心が生まれます。
その一体感が生まれることによって、人・動物・植物・・地球全体に優しい世界に変わっていくのではないでしょうか。
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