大人の都合
先日書いたブログ『感情を表現する』に関しての感想を頂いた中で、数名の方から「大人の都合…」という言葉が出ました。
『子どもにとって何が最善か?というと“子どもが自由であること”が良い事で、“大人の都合を優先すること”は良くない。』
そんな雰囲気があるように感じます。子どもとより良い関わりをしたい人が増えているということかもしれません。
“大人の都合を優先すること”は本当に良くないのでしょうか?
“良くない”とすると、何でも子ども中心に生活をしなければならなくなり、“言いなり”や“放任”になってしまいがちです。現実にはいつも子ども中心の生活をするには無理があるでしょう。
だからと言って、“大人の都合で良いんだ”となると、またちょっと違いますね。ともすれば、“大人のペース”を子どもに強いる様なことになってきます。
“大人の都合を優先すること”を“良い”とか“悪い”とかで判断しようとすると、「では、どっちがいいの?」と極端な答えを探すようになるでしょう。
この“良いか悪いか”の答え探しが、人を迷わせているのではないか・・と思います。
アインシュタインが証明したように、地球は相対的な惑星ですから、全てが相対的なのです。
暗さがあるから、明るさを知るし、その逆も言えます。
長いということを知っているから、短いということがわかる…というように、いつも私たちは相対的に物事を判断しています。
物事はいつも表裏一体です。私たちの評価・判断には“良い”があれば、その裏には“悪い”があります。そして、“絶対的な良い”や“絶対的な悪い”がある訳ではありません。
以前こんな場面に遭遇しました。
駅前の広場に、大きな岩を積み上げたデザインの壁がありました。大人の私でも『あそこでクライミングしたら面白そうだな』と思うような壁でした。
そのうちに、一人の真っ黒に日焼けした男の子が楽しそうに登り始めました。それを見た、他の子どもたちも次々に登り始めました。3〜4人の子どもたちがその壁を猿のように登る姿を見た母親たちが必死で止めていました。
「そこは登っちゃダメなのよ!」というと、子どもは「なんで?」親は「なんでも!いいから降りて来なさい!」「え〜」という具合に、結局子どもは渋々降りて来ましたが、納得がいかない様子でした。
社会のルールは、公共の広場の壁に子どもが登るのはいけないことです。でも、子どもにとっては、どこかの公園の岩登りも駅前の壁登りも同じ感覚なのです。それを“良い”とするか“悪い”とするかは、“大人の都合”になります。
そして、「なぜ?」と聞かれて、「なんでも」とか「おまわりさんにおこられるよ」などと適当に答えると子どもは矛盾を感じます。
そこで子どもが見ているのは、大人のあり方なのです。
大人自身が「他の人が見ているから」「みんなそうしているから」などという曖昧な理由でいると、子どもはわかります。だからこそ、大人には“自分なりの判断”や“価値観”が問われるのです。
「大人の都合で子どもを振り回したくないけど、大人の都合になってしまう」という時には、きちんと伝えることが大切なのです。
「それはしないんだよ」「これはこうしてね」など、こちらがどう考えているのかを伝えるのです。その上で「なぜ?」と聞かれた時に「ママはこう思うからよ」とか「今はそうしてほしいの」などと、丁寧に答え、社会のルールなどの「なぜ?」に答えられないときは「どうしてだろうね?あなたはどう思う?」と一緒に考えても良いかもしれません。
“大人の都合”を良い・悪いで判断するのではなく、その時「自分がどうしたいのか?」を大人もきちんと認識して、子どもに伝えることが大切なのです。
“良いか”“悪いか”という判断からではなく、「どちらでもOK!」という風になると、“自由”な感覚がでてきます。
「人はどうか?」よりも「私はどうかな?」と自分に問うことが大切です。
そして、自分の価値観をすこしずつ認識し、「自分はこういう子育てをしている」というぶれない軸ができて、様々な場面で判断がしやすくなるでしょう。
それは、「何を選び、どう生きるか?」という“人生の軸”にも繋がるのです。
子育て・保育・教育は、“人生の軸”を創る、大人の成長の機会なのだと思います。
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