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“大人である”あり方を手に入れる

前回のnoteに
「真の多様性を理解するには、私たち一人一人のあり方はもっと大人で、“成熟”していく必要があると感じています。」と書きました。

今回は、その“大人”をテーマに書いてみたいと思います。

しばらくの間、“大人”について探求してみました。
すると見えてきたのは、自分の中の“子ども”の部分でした。
自分自身に、その“子どもさ”を感じる場面を思い出すと、その時の自分のあり方は「責任を取っていない」のです。

“責任”と一言で言うと、「自分のせい」、何かの「責任を取る」、役職などの「責任者」などと重い印象があるかと思います。
でも、ここでの“責任”は少し違います。

私が車を運転して長野へ行く途中、何度も行ったことのある場所なのに、道を間違えてしまった出来事がありました。
その時、気心の知れた友人たちと一緒に楽しい雰囲気で向かっていました。
ところがどういう訳か、途中で道を間違え、しかも渋滞に巻き込まれてしまい、長野での約束に大遅刻してしまったのです。

道を間違える直前の自分を思い出して観てみると、ウキウキして心が浮ついている状態で、間違えた後も「誰かがなんとかしてくれる」というあり方でした。
その時の自分のあり方は、子どもが親に頼りきっている状態に似ていて、このことから自分の中にあった“子どもさ”を感じました。

また別の出来事では、自分の中の“大人”である部分を感じました。

以前、北京の幼稚園で研修をしました。2日半の研修で、参加者たちが入れ替わりで受講するスタイルで、非常にやりづらさがありました。
しかし、そのやりづらさの中で、私の中に全くと言っていいほど「迷い」や「文句」が出てきませんでした。
途中で参加する保育者をただ受け入れ、出て行く保育者をただ見送り・・どっしりと構えて居ることができました。
研修の間の私は、「場の責任者である」あり方でした。

そのあり方こそが“大人”なのだと思います。

この2つのあり方の違いに関係しているのは、やはり“責任”です。
“責任を取っているか”と“責任を取っていないか”です。

最近、若い人たちの社会進出に関しての考え方が変化してきているように感じます。
今までのように企業への就職一辺倒ではなく、自分の興味のあることにチャレンジする学生が増えてきています。

「自分のやりたいことをやる」という“自由”に伴うのは“責任”です。

必然的に“大人さ”も必要になります。
そして、「自分がこう思うからこうする」と自分の中の自信と確信に触れながら進むあり方自体が“大人さ”なのではないでしょうか。

私たち一人一人が“大人である”ことで、“信”で成り立つ社会が可能であると思っています。
一人一人が責任者であり、大人であった時、ルールも決まりも必要がなくなるのだと思います。

健全で成熟した社会であるためには、
正義と融和が育たなければならない

             インドの教育者、J.クリシュナムルティ

私たち一人一人が“大人さ”を体現することで、成熟した社会が可能になると信じています。


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