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“泣くということ”と“泣いている子”

私たちは、日頃何かにつけて抵抗しながら生きています。

例えば

何か新しいことに初めて挑戦するとき、ぐっと力が入り、体が緊張し、身構える。

誰かと意見を交わすような場面では、相手の意見への対抗策を頭の中で考えている。

このような抵抗の中から、良い刺激が体験できたり、より良い意見やアイディアが生まれたり…と抵抗自体が悪いわけではありません。

私たちは様々な場面で無意識に抵抗をしていることが多くあります。

先日、「子どもを泣かせたくない」というお母さんがいました。

「どうして泣かせたくないの?」と聞くと、「大変だから」と言うのです。

そして、泣かせない為に大きな声で怒ったり、子どもがやっている遊びをやめさせようとしたり…と、“大人しく”させようと必死です。

このあり方こそが抵抗です。

なぜこのような行動になるか?というと、“泣く子が嫌だ” “泣く子は大変”という考えや解釈があるからです。

そして、“泣くこと”への抵抗が始まるのです。

子どもは“泣くこと”で感情を表現したり、何かを訴えたりします。
泣きたいときは泣かせてあげることが大切です。

そして“子どもが泣いている”最中の“自分”(大人自身)の状態がポイントになります。

泣き声でイライラしている

泣き声が大きくて嫌だ

泣き声が怖い

隣近所に迷惑になるからと焦っている

などなど・・

様々な感覚や感情が出て来るのではないでしょうか。

これは、“泣いている子”に対しての“自分”の反応で、その子のことではないのです。

その時の自分の反応をキャッチしてみると、“泣いている子”がダメ…としているのかもしれません。

ただ子どもが何かに対して“泣いている”というだけです。

“泣いている子”はそのままに。

“泣くこと”は良しなのです。

「“泣くこと”はいいんだ」となると、泣かせっぱなし…になってしまう、放任の様な対応をイメージするかもしれませんが、そうではありません。

“泣いている”そのことそのものに対応しようとすると、

「痛かったのね」とか「嫌だったのね」とか、「今は泣きたいのね」…と

子どもの姿・心に寄り添うような言葉や態度になるのではないでしょうか。

「“泣くこと”を良し」とするには、泣いている子どもを前にして、

自分を観察し、その自分自身の反応をまずは観る…

そしてその自分の反応を一旦頭の上に乗せて置くイメージで、

子どもの“泣くこと”を受け入れてみると、“泣く”という表現が愛おしく感じてくるかもしれません。

http://www.new-edulittletree.com

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