あなたの努力なんて1%程度なので安心してください。

自己責任論が横溢する現代社会。
世間は、社会は、あなたに「自己責任」と「たゆまぬ努力」を要請してきます。
成功したのはあなたが素晴らしいから、失敗したのは努力とノウハウが不足していたから、と。
しかし、果たして僕たちの努力が結果に与える割合というのはどれほどのものなのでしょうか?
もちろん、SNSのタイムラインや身内で比べれば、努力が結果に結びついているように見えるかもしれません。
本当にそうでしょうか?
僕は、戦後の日本という平和で文明が発展した国の中の、比較的経済的に恵まれた家庭に生まれました。
海城高校という進学校に入り、大学にまで行かせてもらい、起業のための資金を親に出資してもらい、優れたチームメンバーと仕事ができ、こんな風に気の合う友だちと文化的活動ができています。
果たしてこれの、一体何%が、「自分の努力」によって生まれた結果なのでしょうか?
日本に生まれたのも、経済的に恵まれたからこそチャレンジできたのも、知識や教養に触れる楽しさを知れたのも、会社で楽しく自分のしたいことができるのも、どうやらそのほとんどは、人と巡り合う運やこの環境を作ってくれた先人たちの努力、そして多くの恵まれない人たちの犠牲の上に成り立っているということが、大人になってきて分かってきました。
だから、僕は努力はしているけれども、自己努力だけで今の楽しい人生があるとは毛頭思っていません。
何かから贈られ、恵んでもらい、助けられ、今があります。
最近の心理学では「努力できる才能」すらも、生育環境によって大きく変化してしまうという知見も得られています。
「努力できるかどうか」すらも、実は天が決めている部分が存在するという驚きの事実です。
このようなことを認識した上でも、「私が成功してお金持ちなのは、私が努力したからで、あなたが貧しいのは、あなたが努力をしなかったからだ」と一刀両断することができるでしょうか?
そんなことはありません。
あなたが成功した99%は、運と周りの支えがあったからで、あなたが失敗している99%は、運と周りの支えがなかったからです。
そんなものです、世の中。
運は変えようがありません。いや、もしかしたら科学的エビデンスが得られていないだけで宗教や風水などは有効かもしれません。その判断は個々人に委ねます。
変えられるのは、周囲の支えです。
困っている状況に陥ったら、「自己責任」という遠慮に絡め取られず「助けてほしい」と周囲に告げること。そして、恵まれている者は周囲に助けてほしい人がいたら、自分のできる範囲で助けること。
それがこの社会をより良くするための鉄則です。
このような当たり前のことが、資本主義社会における当世流行りの「自己責任論」によって霧の内に隠されつつあります。
「自分の失敗を社会や世の中のせいにするな」という批判に反論を許さない空気感は、それこそが「自己責任論」の1つの達成です。
もちろん、すべてはバランス。なんでも人のせいにするのはもちろんよくありません。
でも、なんでもその人のせいにするのも、違うと思います。
もしあなたがグローバル・サウスという恵まれない国で生まれて、日本やアメリカのお金持ちに「努力しろ」と言われても困ってしまうのではないでしょうか?
その縮小版が1つの国の中でも起きているということです。
だから、成功者もそうでない人も肝に銘じるべきは、「今の自分があるのは、贈られたから」ということであり、備えるべき感覚は「被贈与感」です。

by 佐郷

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