見出し画像

有り難う、南海ホークス。

33年前の今日、南海ホークス最後の公式戦が、川崎球場で行われました。

前日の「10.19」はNPB史上に残る、近鉄が優勝をかけてロッテとのダブルヘッダーで死闘を繰り広げ、最後引き分けて優勝を逃した、という今でも語り継がれるドラマが紡ぎ出された日であります。

当時私は学生時代、比較的自由な時間を作れる立場であったにもかかわらず、必須の実験をサボれる程の度胸がなく、当日現場には行っていません。

ただ、結果だけは非常に気になっていたのですが、ネットもない時代、経過も結果も知ることが出来ず、唯一の情報源だったのが「川崎球場テレホンサービス」。
帰りが深夜になって、自宅近所の公衆電話から、無味乾燥な声で「対近鉄のダブルヘッダー第2試合は4対4の引き分けでした。」と聞き、その場で近鉄の優勝がなくなったのを知って愕然とした(当時黄金時代だった西武の牙城を何とか崩してもらえないかと期待していたので)直後、「明日の試合は、対南海戦が18時試合開始です。」との案内。

「そうだ、南海最後の試合、これは行くしかない!」と思い、翌日現場に足を運ぶこととなりました。

試合経過は後述させて頂くとして、33年前の今日21時39分、その試合は終わりを告げました。

これで南海ホークスは完全に終わってしまったのだと、否が応でも現実を受け止めなければならなかったことに、やり切れない気持ちで一杯でした。
当時、福岡移転したらどういう事になるのか全く想像もつかず、不安でしかなかったことを思い出します。
その試合終了後のスコアボードがタイトル写真です。

試合は3対5で敗戦でした。
でも、勝ち負けの問題というより、今でも忘れられないのがその終わり方。
最後のバッターとなった畠山さんが打った打球は、自分の足元へ。
我々観客も、きっと畠山さん自身も自打球が足元に落ちたファールだろうと思っていたら、ボールを拾ったキャッチャーに向かって球審の山崎さんが一言、「フェア!」の判定。
まだバッターボックスに立っていた畠山さんにそのままタッチされ、あっけなく試合終了・・・。
すぐさまロッテのホーム最終戦セレモニーが始まってしまい、ロッテの選手たちが一斉にグランドへ出てきて、ホークス選手たちは半ば強制的に引き上げさせられてしまって、最後の試合だからという感傷に浸る間もなく、締まらない終わり方になってしまいました。

でも、スカッと勝って格好良く終わるより、こういう終わり方の方が、いかにも人間味あふれる、良くも悪くも当時のホークスらしい終わり方じゃないか、と思ったものです。
私がホークスに引き付けられたのは、勿論現場の方々に良くして頂いたからなのですが、当時黄金期だった西武が、まるで精密機械であるかの様に緻密な試合をしていたのと比べ、弱かったことが逆に人間味あふれて良いじゃないか、と感じたからでもあるのです。
あの時は「ホークス優勝」なんて単なる絵空事でしかなく、せめてAクラス、せめてマジック対象チームになってくれれば、なんて考えていた33年前。
それでも生きている間に1回は優勝を見てみたいと、現場に通い始めて33年。

振り返ってみれば、「南海ホークス」を直接現場で見たのは、最早僅かな期間になってしまい、遠い思い出と言える存在になってしまいました。
しかし、現場通いを今でも続けるきっかけを作ってくれたのは、やっぱりあの「南海ホークス」があってからこそだったのだと、当時では考えられないくらい強くなった今でも思っています。
だからこそ、心からの感謝を込めて。

有り難う、南海ホークス。

いいなと思ったら応援しよう!