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立石船宿勘助(1) -船宿勘助-
冬の重たい雲がいまにも泣きそうな寒い朝だった。
魚屋の信造は、役場に貼ってあった天気予報で、午後から雪が降りはじめてひどくなるらしいと知っていた。
魚河岸からの帰り道にある役場には、去年から天気予報が貼り出されるようになった。天気予報と言っても、「箱根の向こうは大雪だ」ぐらいしかわからなかったが、なんとなく天気の動きがわかるものだった。
新しもの好きの信造は、魚河岸からの帰りにそれを見るのが日課になっていた。
「明日の夜は大雪か。こりゃみんなに言わねぇと」
最近では、会う人ごとに天気の話をするので、魚屋ではなく天気野郎と呼ばれるほどだ。
役場から中川に向かって歩くと喜多向(きたむかい)観世音菩薩がある。
信造は、河岸の行き帰りにかならずこの菩薩さまに手を合わせていた。
「菩薩さま、今日も無事に、村へ帰ってまいりました。明日は雪でございますよ」
この観世音菩薩から左に折れた、中川の川沿いが本田村だ。
菩薩様の向かい側に馬洗場があり、川沿いには船宿川勘がある。
船宿川勘は本田村のはずれにありながらも、馬洗場に人が溜まることもあり、繁盛していた。
団子屋であり、飯屋であり、船宿でもある川勘は、本田村だけでなく、川沿いの村人からも重宝がられていた。
川勘の主人、勘助が表の雨戸を外して店の支度を始めたのは、ちょうど信造が菩薩様に手を合わせている頃だった。
信造は戸の開く音を聞くと待っていたかのように拝むのをやめ、仕入れた魚を載せた大八車を引いて川勘の方へやってきた。
「勘助さん、おはようございます」
「おお、天気野郎。今日も寒いな。相変わらず早起きでごくろうだな」
「なんだぁ、朝一番から天気野郎ですかい。おお、そうだ。明日の夜は大雪らしいですよ」
「大雪だと。それはたいへんだ。いろいろ支度しないと。やっぱりおまえは天気屋だな。魚売る話より先に天気の話じゃねぇか」
「あはは。なんだよ勘助さん。おれはみんなのこと心配して、天気見に行ってるのに」
「そうだったな。信造あいつもりがとうよ。この寒さだ、中にはいれ」
勘助は信造を店の中に入れると、戸を閉めた。
店の中は、女将のお清が朝飯の支度を始めていて、ほんのり暖かかった。
「女将さんおはようございます」
「あら、信蔵ちゃんおはよう。朝早くからご苦労ねぇ」
お清は、年下を呼ぶときは、みんなちゃん付けだ。
「女将さんこそ、朝餉の匂いがいいですねぇ」
「信造、朝飯食っていきなよ」
「ありがとうございます。でも今日は足が早い魚を仕入れちゃったので、ちゃちゃっと売りに行っちゃいますんで。ご注文の魚、お店の前に置いておきますよ。さっき本田でうりが手に入ったんで、それもつけときますよ」
信造は、お茶だけすすって、店を出た。
「働き者だよ、信造は」
「そうだねぇ、娘でもいたら旦那にはもってこいだね、信ちゃんは」