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『する』と『される』の外側へ

ご無沙汰です。
Twitterの中の人、お笑い大好き、ロック大好き、スタッフの島田です。

約3か月ぶりの登場となります。
皆さま元気にお過ごしだったでしょうか。

本当は年始に一度記事を書く機会があったのですが、ちょうどその時期は何かと立て込んでおりまして、気付いたらタイミングを逸しておりました。
皆様あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。

さて、今回は最近読んでいる本の話をしつつ、良い具合に演劇の話に絡められたらと思っております(あらかじめフっていくスタイル)



私は最近、こんな本を読んでいます。



中動態の世界/國分功一郎 著

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この本を知ったきっかけは、私が強く傾倒する、とある芸人さんが紹介していたからなのですが(※この時点で分かる方がいたら、同じ界隈に生きる人種のような気がします。笑)、内容がとても興味深くて、普段こういう類の本を読まない私も思わず手に取ってしまいました。

その芸人さんがどういう紹介をしていたかについては、クローズドな場所での紹介だったので触れないでおきますが(スミマセン)、内容について簡単に触れてみたいと思います。

一般的に、自発的に何かをする事を『能動(的)』、一方で他からの作用を受けている状態を『受動(的)』と表現しますよね。

しかしながら、人間の全ての行動が『能動』と『受動』というシンプルな二つで分けられるかと問われれば、きっとそうではないはずです。

たとえば、節約をしようとなるべくお金を使わないようにしている人が、空腹に耐えきれず、自炊なり外食なりでお金や手間を使ってご飯を食べるというケースは、"ご飯を食べる"という行為自体は能動的なものであっても、"空腹によってそうさせられている"という観点では、受動的かもしれません。

本の帯にも書かれている言葉ですが、このような「する」と「される」の外側の『中動態』の世界の話が、この本には書かれています。(※まだ読んでいる最中なので全容を把握するのはこれからですが…)


この本を読み進めているうちに、かつて演技の勉強をしていた頃、とある名高い演出家に学んだ事を思い出しました(冒頭のフリをしっかり回収できましたね)

演技に携わるものであれば、どんな事であっても単一的な物の見方をしてはいけない。世の中で起こった、たとえどんな凄惨な事件又はその犯人に対してであっても、『かわいそう』だとか『許せない』だとか、そういった感情だけで捉えず、その事件や犯人の事を深堀りしていかない事には芝居は始まらない。

もちろんこれはお芝居を作る上での話であって、倫理観とはまた別の話だという事は補足しておきますが、当時19,20だった私にとってはかなり印象的な言葉でした。

この言葉・この教えはその後の人生においてもかなり頭に残っていて、何かを考える際、一気に想いを巡らせてあれやこれやと考える事が多くなりました。

想いや考えが巡りすぎて収集つかなくなってしまう事がほとんどなので、うまく活用していかなくちゃいけないなぁとは思っているのですが…(笑)


そんなかつての出来事を思い出させてくれた『中動態の世界』という本。
演劇の本というわけではありませんが、演劇的な視点を養える部分もあると思いますので、興味のある方はぜひ読んでみてはいかがでしょうか。

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