貴婦人の来訪 / いびつな”声”をどこから掴む?【PR】
誰に観てほしいーー?
観劇前にweb検索をして、出てきた”声”。
悲劇的、喜劇。
ヒゲキてき、キゲキ。
「かなしいけど、おもしろいお話かぁ…!どんな観劇時間になるんだろうなぁ…」と、ドキドキしながら初台駅で降り、新国立劇場小劇場の座席に座り、舞台を見つめます。
上演終了。10分沈黙。なんと声が出せません。やっと出てきた最初の”私の声”は、「くるしい」でした。3時間で浴びた言葉が、ぐるぐるぐるぐる脳内を巡り続けます。これは強い悲劇なのではないか…?
しかしっ!!!
観劇から4時間後。「いや、やっぱりこれは、悲劇的喜劇だ!」と、心が笑いました。
………え?
なんで「くるしい」を感じたのに「笑った」???
なんで??なんで??
この演劇、絶対に誰かに観てほしい!!
目撃してほしい!!
…でも、観てほしい人は、
誰???
誰???
誰???
迷い続けて見つけた、1つ、確かなこと。
観てほしいのは、誰でもなく、自分自身でした。
「貴婦人の来訪」は、この場を目撃した後も生き続けなければいけない”自分自身”に、もう一度、薦めたくなる演劇です。
だからこれを読んだ皆さんには、まず一度、観てほしい!
文化都市”だった”ギュレンーー
特急列車もぴゅーんっと、通り過ぎてしまう、貧困に苦しむ小都市、ギュレン。
ある日突然、急ブレーキッ!!!で、ギュレンに特急列車が停まりました。現れたのは、かつてこの町に住んでいた、クレール夫人(秋山菜津子)、今は大富豪です。
「○○されたって、死なないわ〜!」
クレール夫人が歌う、明るいようで暗い歌。もしかしたら暗いようで明るい歌。〇〇したら死んでしまうのに…。そんな歌です。
生きていないのに生きていると発する、その言葉の矛盾を考える間もなく、”億万長者夫人”の華やかな服・お金・声に魅了されていきます。
そしてギュレンの人々が望むままに、大富豪クレール夫人はギュレンに対して兆単位の寄付を宣言。しかし、寄付の代わりに彼女が要求したもの、それは、「正義」でした。
45年前、クレール夫人をひどい目にあわせた元恋人、イル(相島一之)の死を要求。これが「正義」。
イルは次期町長候補となるほどギュレンの町で信頼の厚い人。一旦は、ヒューマニズムの名のもと貴婦人の提案を断りますが、貧しい人々の耳からは莫大な金額を告げる貴婦人の声は消えません。
“イル” か “お金” かーー
ギュレンの人々の様子、イルの様子、どんどん変化していきます。
耳に聞こえる“声”は、「イルは心配しすぎだ」と言う。
イルがおかしくなっているのか、”声”がおかしくなっているのか。
観客である第三者は、いびつにはめられていこうとするパズルを目の当たりにして、心をどこに置いたら良いか、どこに置くのが観客の「正義」なのか。感情がうごめき、演劇空間の渦に呑み込まれてしまいそうぅぅぅぅ!!!な、瞬間も。
…でしたが!そんな崖っぷちを、心地よいところで救ってくれる登場人物も、現れます。(ありがとう!)
救ってくれるのは、登場人物だけではありません!
”億万長者”夫人の旦那さんは虫取り網を持ち歩いていたり・・・
タバコからはシャボン玉が出てきたり・・・
ギター音楽が、超!!かっこよかったり・・・
「ここはコンビニ!?」と錯覚する瞬間に出逢ったり・・・
超ポップ!!な演出に、観劇時間があっという間です!
舞台上に渦巻く、いびつな”声の塊”を、上から見るか、下から見るか、右から見るか、左から見るか、斜め上から見るか、、、見る角度によって感じ方が変わります。しかし、宇宙くらいまで遠く遠く離れた先で見たら、それはただの石の塊。
観劇直後に「くるしい」と感じた私が、最後には「悲劇的喜劇」だと心が笑った理由はきっと、そんないびつな塊に遭遇したからなのだと思います。
人間はどこまでいっても、一生懸命で、滑稽で、愛おしい。でも、何があっても、生きることは、続けてほしい。
シリーズ”声”を締めくくるのにふさわしい、最高に美しい”声”を聞くことのできる、3時間です。
文責:臼田菜南