バングラデシュ到着。
スパイシーな香りが漂ってくる。
私はバングラデシュの首都ダッカの空港に降り立った。
空港と言えばキンキンに冷えて寒いくらいだが、バングラデシュの空港はぬるい温度。空港内は、どこからともなく香辛料の匂いがする。
空港を一歩出ると、熱気を感じると共にクラクションやらベンガル語が聞こえ、遂にバングラデシュに来た実感が湧いた。空港の入り口の周りには柵があり、その柵にしがみついた人の群れに面を喰らった。なぜそこにいるのか。この光景に、まず空港に到着した人は驚くはずだ。通常迎えなら空港の中で待つはずだが、涼しさを求めて色々な人が中に入ってしまうので制限されているのだろう。
首都ダッカでの2ヶ月間
2ヶ月後に自分の任地に派遣される。
それまでの間は、現地生活のガイダンスがあったり、携帯や銀行などの諸事務手続きや予防接種を打ったり、と現地に慣れるための準備期間である。
これほど手厚い待遇があるのもJICAの後ろ盾があるからであり、個人ではここまでスムーズに物事は進まないだろう。特に役所関係の書類の手続きを個人でするには、手間と時間がかなりかかるだろう。
私の活動は、バイクで赴任先の小学校を巡回するのでバイクの免許を取りに行った。運転免許を取得するための施設に行き、試験を受けることにした。試験は実技試験がなく選択式の筆記試験だけで、それも10問しかなかった。
ほとんどが標識の問題だった。見れば答えられるが、中には分からない問いもあったが、そこは発展途上国で何とか教えてくれて合格。
試験会場を見渡すと、人の答えを見ながら試験に答えている人が多くいて意味があるのかと疑問に思った。
ホームステイ 〜環境を乗り越えろ〜
現地の暮らしに慣れるために、首都ダッカで3週間のホームステイが始まった。ホームステイさせてもらう家は、歯科医の兄とビジネスマンの弟2人の家族と兄弟の母親の8人が暮らしていた。
まずトイレはぼっとん便所、お風呂を入るにもお湯は出なく、部屋は小窓にファンが一つ。
ベットに蚊帳がついているのだが、蚊帳に穴が開いてて朝起きたら蚊帳の中に蚊が5、6匹いた。もちろん痒くて寝れなかったことは言うまでもない。もちろん次の日に穴を見つけて、そこにテープを貼って凌いだ。
生活水準が日本と違いすぎて、最初は不満しか感じてなかった。
お湯がない、エアコンがない、wifiがないなど、〜が無いことばかりに目がいってしまい、不満しか感じていなかった。自分で望んで途上国に来たのに、不便さの毎日に日本にある快適さを求めてしまっていた。
ある晩に、晩御飯にビリヤニ(カレー味の炒飯)を食べていると、辛すぎて口が痛くてもがいていたら、兄弟のお母さんがいい物があると言って、真顔で大きいスプーンで山盛り一杯の砂糖をもってきてくれた。予想を越える砂糖の山盛り具合に笑ってしまったが、確かに辛さが引いた。
こういう日本では体験できない瞬間に目を向けて、楽しんでいった方が2年間のバングラデシュ生活を有意義に過ごせると気付いた。ないものを求めるよりも、あるものの中で面白さを見つけていこうと考え方を改めた。ネガティブな面も見方一つでポジティブにもなり得る。
動物園の中に物乞い?
ホームステイ中にチリアカナという動物園に行った。
入園料は、たった10tk(約10円)だった。バングラデシュの通貨はtk(タカ)である。動物の説明や動物に名前もついておらず、ただ柵の中に動物を放し飼いにしてあるだけであった。その中でも一番の目玉と言ってもいいベンガルタイガーは、唯一見応えがあった。野生のベンガルタイガーによって年に数人は亡くなっているそうだ。
それよりも目に止まったのが、動物園の中に物乞いが数名いる光景だ。その中でも、赤ちゃんを抱えた5〜6歳くらいの少年がペットボトルを拾いながら物乞いをしている姿が目に止まった。多くの子供連れの家族が行き交う中、彼らは同年代の子供に対して物乞いをしていた。何とも言えない感情が湧いてき、どうしようもすることが出来ない現実に直面した。
よく辺りを見渡すと他にも子供たちが資源集めや物乞いをしていた。その当時は物乞いにお金は渡していなかった。話をしたり、遊んだりはしたが、物乞いに対する明確な考え方をもっていなかったので何となく渡してもキリがないと思い、お金を渡さないようにしていた。
物乞いの存在は、道、バス、電車、お店、どこに行ってもこの国にいる間ずっとついてくる。物乞いへの考え方は、徐々に変わっていく。
その事については、また話したい。