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2年ぶりの帰国で思ったこと。

バングラデシュでの暮らしの記事を書いていて、帰国後に思ったことがあったので書いていきたい。


帰国直後の違和感

バングラデシュから
2年ぶりに日本に帰ってきた時のことだ。

スパイスの香りのしない空港に降り立ち、ゴミのないキレイな街並みやクラクションの鳴り響かない道、時間通りの公共機関、どこにでも冷暖房がある快適で便利な日本に帰ってきた。


電気がいつでも使えて、温かいお湯で湯船にも浸かれる。蛇口から出る水はいつでも飲めて、食べ物を食べる度に食中毒の心配することない。夜は1人でも出歩けて、買い物するにもいちいち値段交渉をする必要もない。


心地良さを感じたが、
すぐに物足りなさを感じた。

電車に乗れば、皆静かにスマホを見続けている。どこにいってもスマホにコントロールされているかのように感じた。人の表情は、疲れ切ってをしてせかせかと足早に移動している。


知らない人同士が話すことは稀で、話しかけると怪訝そうな顔をされる。インターネットでは、知らない人同士すぐに繋がるのにリアルでは繋がりづらい。どこか寂しさを感じた。

日本の安心・安全の裏には、本来人がもっているものを押し殺して、人に迷惑をかけないように生きている。知らず知らずに、感情を殺しているというか、人がもつエネルギーを抑え込んでいるように見えた。


これが帰国後、率直に感じたことだ。
たった2年日本から離れただけで、そのように感じてしまうなんて不思議だ。よっぽどバングラデシュの生活が日本とかけ離れたものだったか分かる。

しかし、時が経つほどに日本社会に適応して、大事だなと思うことが埋もれていき、当初抱いていた違和感は薄れていった。

私の場合、その気持ちを忘れない為にも毎年海外に行っているのかもしれない。日本在住の外国の友達に、日本ほど安全で安定した国はないと言われるが、安全・安定がある分、予想外の事や刺激も比例して少ないのではないか


バングラデシュにいる時に、先進国の都合で発展させなくてもいいんじゃないか、発展させる必要があるのかと悩んだことがある。

村の生活を見ていると、生活はとても質素で何もないが細々と2世帯家族が一緒に肩を寄せ合い暮らし、村人たちが助け合いながら愛に溢れた生活をしていた。学校に行かずとも、子供たちは周りの大人や子供から社会での生きる術を教わり、学びながら生きている。

先進国の日本では、物質に溢れ、社会保障もあり、安定した暮らしの中でも孤独を感じながら生きている人や自ら命を断つ人、過労死する人も少なくない。

しかし、結局は資本主義世界の流れの中で生きていくので発展が必要である。発展することで、経済が活性化して社会保障にもお金が回せ、生活も安定して救える命もでてくる。安心して暮らせるようにもなる。


バングラデシュで感じた豊さと、日本で感じる豊さは違う豊さであると思う。国は、発展すればすれるほど物質的に豊かになっていくが、心の豊さは削られていくのではないか。

心の豊さと物質的な豊さのいいバランスで生活したいものだ。

自分の芝生は青い

インターネットのおかげで、隣の芝生が見える機会が多くなって、自分の芝生の青さが分からなくなっている人も多い。

人の芝生と比べて悩む必要はないのだが、どうしても毎日のように情報は流れ込んでくる。現代でスマートに生きようとすると情報にアクセスするので、上手く情報と付き合わないと自分の人生を他人の考えに翻弄されてしまう。これもまたバランスだ。

日々の忙しさや人間関係で、バランスを取れずに心を病んでしまう人もいると思うが、現代社会への違和感は生き物として間違っていないと思う。

違和感を忘れて、多数が信じている仕組みを盲信した方が楽なのかもしれない。しかし、立ち止まって考えてみてほしい。あなたが自分の心にある違和感を押し殺し続けてまで順応しようとしている人生は正解なのか。

ここに答えはないが、自分の心の声について考えるきっかけになってほしい。

自分の芝生を青々した自慢の庭にしたいものだ。

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