カンガルー二世帯
カンガルー二世帯
村上春樹先生の「カンガルー日和」が大好きだ。これは俗にいうショートショートで、収録されている18編は、どれも「トレフル」という雑誌に掲載されていたものだ。
実家のカビが生えた書庫に眠っていたのをひっぱりだしたのが出会いだったと記憶していたのに、先日母とその話になったときそれは記憶違いだったということがわかった。これには驚き。
母がいうには、ショートショートにはまっていた私に母が勧めてくれたのがカンガルー日和だったらしく、母は村上先生の本はこれしか読んだことがないという。紹介していただいた私はといえば、「カンガルー日和」に続いて芋づる式に村上先生の本を読んだ時期もあり、今となっては好きな作家さんのひとり。なんだか不思議な話だ。でも往々にしてそういったことはあるのかもしれない。勧めたひとよりも、勧めてもらった側が好きになってしまうというようなことが。
カンガルー繋がりでまったく違うことを書いてしまったが、表題の「カンガルー二世帯」とは、母が最近編み出した言葉(たぶん)である。母からすれば嫁に出したはずの娘とその夫が引っ越してきて同居しているというちょっと不思議な現状を、母カンガルー(母と父と弟の世帯)のおなか(家の1区画)に、子カンガルー(私と夫の世帯)が入っている(住んでいる)という風に表している。マスオさん状態ではないということを伝えたいがために編み出した言葉のようだが、あまりピンとこない人が多いようで余計に混乱を招いている。
そんな状況がおもしろい私は、その状況と、母が何度も一生懸命に説明する姿も含めて、この言葉をとても気に入っている。
分水嶺
眠たそうな船員の誘導棒に促されつつ、ゆっくりと船から車が降りる。その助手席で、ぎゅうぎゅう詰めの荷物の隙間になんとか収まった私は、胸元にそっとしまっていたその確信が、自分自身に染み込んでいくのを待った。
──これで今年は間違いなく私にとって分水嶺なる1年になった、という確信。
正月から大きな地震があり、親族に被害はなかったものの地元の人々が怯える姿に少なからずショックをうけた。2月から資格勉強をはじめた。5月には結婚に向けた顔合わせのようなものがあり、そのすぐ後に母方の祖父が亡くなった。6月には勤務先の事務所の引っ越しで力仕事に明け暮れ、入籍予定の7月には夫が労災事故に遭ってしまう。幸い怪我はなく予定どおり入籍。内祝いや名義変更など、入籍関連のドタバタがようやく収束をむかえた8月半ば、突発性難聴を発症。そして10月末、夫が突然退社することになり、私も引っ越しと転職を余儀なくされる。11月に引っ越し準備、就職活動。夫の退職手続きも尾を引いた。12月はじめに引っ越し、引っ越し先である実家の断捨離、大掃除、改装などに追われているうちにあっという間に年末を迎えてしまっている。
今は乾く気配もない洗濯物と、おせち料理のことばかり考えながら、これを書いている。
こうして書き出してみても今年はいろんなことがあった。みなさまも少なからずそうだろうと思う。20代半ばにしてすでに酸いも甘いも知っているような気でいた自分が恥ずかしい。人生は時としてほんとうに手厳しい。きっとこれでもまだまだ生温いのだろう。いずれにしても日々は続くので、懐深くありたい。
はいいろのふゆ
冬になり降りつもる雪は白く美しい。日光を跳ね返して、ありったけの白い光を私に押し戻してくる。昼夜逆転の生活で浴びそこねた太陽光を補えといわんばかりに。健やかに生きていけと。そっと背中を押してくる。
こんな妄想をして、すこし雪を楽しみにしてしまっていた。雪が降る地域での生活は数年ぶりで、冬の恐ろしさなんて忘れてしまっていたから。
でもいま、目のまえに広がるのは、はいいろ。深く雲がかった空。すこしだけ積もった雪の下からうっすらと黒いアスファルトが透けている道路。葉が落ちて身一つになった木々が、体を寄せ合って寒さをしのいでいる並木道。景観保持のため臙脂と濃紺で統一された町並みに、はいいろのふゆが訪れた。
灯油を買いに行くため、父の車に乗り込む。今年はたいした雪じゃないね、と私。すると、いや、ほんとうに怖いのは2月だよ、と父がいう。そうだね、これはまだはいいろだから。白く美しい冬が訪れたとき、それはきっと恐ろしい冬になる。