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親知らずを抜きながら平和を願った

3年前、わたしは親知らずを3本抜いた。

奥歯が痛くて町の歯医者に行って診てもらったところ、どうやら下の歯の親知らずの生え方がかなり悪く、神経をこえた奥の方までめり込んでいたらしい。

「うちでは難しいので〇〇病院の口腔外科を紹介します」とのことで、何か月も先の予約を取る。〇〇病院での初回診察はレントゲンを撮るなどの歯の現状把握がメインで、それから次回の抜歯に際しての承諾書を書かされた。後遺症のリスクとして、味覚障害(味がしない)とか麻痺が残る可能性について承諾し、抜歯日程を決める。

「わずかな確率でそういう(後遺症の)事例もある」という医師の言葉が頭に残ったわたしは、ネットで「親知らず 抜歯 後遺症」などと検索して論文を読み、気になる箇所に赤ペンでアンダーラインを引いていた。

後遺症の確率はかなり低い。しかし自分の頭でよく考えて決断せねばならない。わたしが出した結論は、4本中3本の親知らずを抜くことだった。上の2本は比較的抜きやすく、すぐに安全に抜けるだろうと言われた。

一方で、下の2本はかなり鋭角に生えており神経に接しているので、ある程度のリスクがあると言われた。今回痛んでいた左下の親知らずは歯茎に食い込み、強い痛みのため仕事やゲームに集中できないほどだったため、抜くのを決意。残りの右下の親知らずは現状問題がないので、抜歯をしないことにした。

抜歯当日、ひとりで戦場、いや病院に向かう。なぜこの病院の口腔外科は、最深部にあるのだろう。病院の入り口の自動ドアから、その長い距離をゆっくりと進む。ここ数年でいちばんドラマチックな心持ちで歩いた。これから戦いが始まる。

口腔外科に着き、予約時間になるとすんなり抜歯が始まった。

上の親知らずは1本5分程度で抜けたのに、左下の親知らずは1本抜くのに1時間弱かかる長期戦であった。

担当医は、説明が的確で早口な女性の方。それでは……と、急にハンマーでカンカンと歯を叩き割り出して、この先生はわたしに恨みがあるのだと思った。麻酔をしていても結構痛みがあり、はやく戦争が終わることを望んだ。願わくは愛と平和のもとに親知らずを抜いてほしい。ハンマーで散々痛めつけて歯を弱らせたら、終盤はペンチで抜きにかかる。とどめである。終戦に向かう。

「~~~!~~~!」と声にならない唸り声のもと、わたしの親知らずが抜かれようとしている。先生はペンチを使ってあらゆる角度から引っこ抜こうとする。本当に痛い。「~~~!~~~!」

なんとか抜き終えると、担当した先生は「いや~大変な歯でした。いや~。いや~~大変でした。いや~~大変な歯でした。」(原文ママ)と言っていた。それは皮肉ではなく、事実と受け止めればいいのだろうか。

抜歯後に待合室へ戻ると、おそらく多くの人は歯を抜いた後のようで、謎の一体感に包まれている。近くに座っていた20代ぐらいの女性に至っては、スマホも持たずに両手で頬を抑えていた。あなた絶対歯抜きましたよね。

経過は比較的よく、しばらくは味覚が弱かったが処方されたビタミン剤を飲んでいたら完全にもどった。しかし、いつか残り1本の親知らずを抜かなければならない日が来るのが怖い。言ってしまえば、あと一つの爆弾を抱えているようなものだ。

抜歯の風景を思い出すと、どうしても先生がわたしに恨みがある気がしてしまったが、それはちがう。あの抜きにくい歯を、繊細かつ高等な技術によって対処してくれたのだ。大いに敬意を示すとともに、できればもうあなたの手を煩わせないように、日々ていねいに歯を磨く。特に、右下の親知らずあたりは重点的に磨く。愛と平和のために。



SUZURIにて、わたしの親知らずのレントゲンを使ったグッズを販売しています。買わない方がいいと思います。



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めり込まざる者
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