良ボスとクソボスの狭間の地 - 『ELDEN RING SHADOW OF THE ERDTREE』
一週間ほど前に、エルデンリングのDLC『SHADOW OF THE ERDTREE』のラスボスを倒した。致命の一撃でトドメを刺したときの恍惚感は今もうっすらと残り続けている。
実はこのクリップを撮る前に一度撃破していたのだけれど、決着の直後にPS5が強制終了して巻き戻されるという理外の攻撃を受けてやりなおすハメになった。思わず膝から崩れ落ちそうになったが、今となってはいい思い出だ。
DLCの発売からもう一か月近く経つので、ラスボス戦のネタバレを解禁してもいいだろう。体感としてはBloodborneひとつぶんくらいのすさまじいボリュームを持つこのDLCのフィナーレを飾るのは、「約束の王、ラダーン」というボスだ。エルデンリング本編では朱き腐敗に冒されて正気を失っていた英雄ラダーンの全盛期と戦うという、ものすごく燃える展開。もちろんお約束のように第二形態もあり、名前も「ミケラの王、ラダーン」へと変化する。結局正気失ってんじゃねえか
しかもラスボスの直前には、DLCの道中で戦友となったミケラの騎士たちと雌雄を決する大乱闘を繰り広げるという、これまた激しくアツい展開が待ち構えている。デカブツ系ボスとの戦闘が連続しないという点も含めてものすごくよかった。
エルデンリングの前身となったソウルシリーズの頃からフロムゲーはストーリーがよくわからないといわれがちだけれど、こういう王道展開や天丼セルフオマージュはほとんど外さない。ダークソウル3でいうジークバルトとか、王たちの化身とか。そういうところに愛される理由のひとつがあるように思う。
強すぎ、王強すぎ
アツい展開なのは良かったとして、DLCラスボスのラダーンの評価は割と分かれている。
否定派の意見をかいつまんで説明すると、「回避主体での立ち回りがシビアすぎる」「エフェクトがデカすぎて攻撃を見切りづらい」「大盾の有無で難易度変わりすぎ」云々。肯定派の意見は「ちゃんと見切れば隙があって反撃できる」「ラスボスなんだから強すぎるくらいがちょうどいい」「別に大盾使えばいいじゃん」云々。誉が云々で浜辺が云々。
玉虫色の答えになってしまうが、賛否のどちらにも一理あるように思える。俺も、ラダーンに殺され続けているときは「こんなクソボスが存在していていいのか」と叫びそうになったものだ。それがクリアした今は「いや~たしかにラダーンめちゃくちゃ強かったよね。まあ俺は倒せたけど。え?ジャスガ使いましょうよジャスガ。タイミングさえ覚えたら楽しいッスよ」などと訳知り顔で吐かすのだから、これはダブスタクソゲーマーもいいところかもしれない。
「おれはやった!」というのはソウルシリーズのボス戦フィールドで何度となく見かける定番メッセージだけれど、これは「お前はどうだ?」「お前もやれたよな?」という一種のナルシシズムと表裏一体でもある。「おれはやった!」はいわばやりがいを深めてくれる隠し味であり、ぽこじゃか作られまくるソウルライクゲームにしばしば欠けているものだ。
思うに、死にゲーやソウルライクを"フェア"に評価するのが難しいのは、難しさやそれに付随する達成感をゲームデザインの良し悪しにどこまで結びつけるべきかが判然としない上に、体験の個人差が大きく分かれがちだからだ。ある人にとっては「難しいけどやりがいがある」が別の人にとっては「難しすぎてマジしょうもない」になりうる。
グーにチョキで勝とうとしてはいけない
エルデンリングをRPGとして見るなら、人によって良ボスとクソボスが分かれるのはビルドによる攻略幅があるということなので、むしろ好ましいはずだ。
たとえば、神秘ビルドだった俺のキャラは軽量武器で手数を稼いで出血デバフを積極的に発動させる戦闘スタイルだ。なので当然、血を流さないエネミーにはめっぽう弱かった。そういうときは装備を見直し、別の戦法で火力を出せないか検討しなければならない。出血耐性があるエネミーも違うところには弱点があり、決して無敵ではない。出血ではなく毒を使ってみるとか、神秘ステータスで強化される特大武器で体幹崩しを狙っていくとか、色々とやりようはある。
属性もリーチもモーションもリソースも違う無数の手札を自分なりに組み合わせて勝ち筋を探っていく。これがエルデンリングというゲームの面白いところだと俺は思っている。グーにチョキで勝とうとしてはいけないのだ。
こういうことを書くと「ステータスの振り直しも武器強化も回数が限られてるんだからそうはいかんでしょ」という指摘が出てくるだろうし、実際これは正しい。
たとえば、知力メインにステータスを振った魔法キャラがいきなりゴツい特大剣を振り回すようなことはできないし、神秘キャラが祈祷を駆使していきなりアウトレンジで戦うこともできない。どれかのステータスに特化していた場合、別のステータスを要求する戦法に切り替えるのはなにかと大変だ。
でも、それでいいと思う。だってこれはRPGで、ビルドごとに得手不得手があるのは当然なのだから。それに奥の手としてレベリングで最強になるという手段もある。ありとあらゆるバフを盛りまくればラダーンすら一撃で屠れるというのだから、可能性を諦めてはいけない。
でもこれアクションゲームですよね?
その一方で、エルデンリングはあくまでもアクションRPGだ。
そう、"アクション"RPGだ。だから、RPGとしては良くてもアクションゲームとしては悪いということが起こりうる。ラダーン戦に不満が出やすいのは、他のボスでは有効だったアクションゲーム的解法がラスボスでいきなり強く否定されるからという理由が大きいのかもしれない。
具体的な例を挙げると、執拗な回避狩りだ。エルデンリング本編でもいやらしいディレイ攻撃をしかけてくるボスは多かったが、ラダーンはさらに一歩……いや三歩ほど踏み込んでくる。
回避するのがほんの少し早すぎても遅すぎても致命的な攻撃を、ラダーンはいつになったら終わるのかわからないレベルで畳みかけてくる。どの攻撃もハンパないリーチをしているので、距離を取って回復したり様子見するのも難儀だ。一発喰らって体力が半分消し飛んだので慌ててバックステップ連打し、この間合いなら大丈夫だろうと思って回復した瞬間をぶった切られる。こんな出来事はラダーン戦において挨拶レベルだ。
しかも第2形態になると新しい技がどっさり追加され、第1形態と同じモーションの技にも判定が追加される。そりゃ見切れんて。
がんばって回避を成功させても反撃がしょっぱいというのは、やっぱり辛い。他のボスであればたいてい「回避して後隙を刺す」というヒットアンドアウェイが成り立つし、実際これはソウルライクな戦闘のパブリックイメージでもあるのだが、ラダーンは強烈な多段攻撃でこれをかなり強く拒否してくる。たった一発の強攻撃を入れるために10秒近く必死にコロコロ避け続けなければならないのではリスクリターンが合わない、という主張はもっともだ。
この先、ジャスガが有効だ
DLCで使えるようになったジャストガードと従来のガードカウンターの食い合わせが良すぎて、回避のうま味が薄くなってしまったというのも厄介だ。
これまでは敵の攻撃に対して、
ガード:ボタンを押しっぱなすだけで被ダメを抑えられるがスタミナを大きく消費し、反撃に移りにくい
回避:敵の攻撃に無敵フレームを合わせなければならないためシビアだが、スタミナの消費が少なく反撃がしやすい
パリィ:回避よりさらにタイミングがシビアだが、相手の体幹を崩して致命の一撃で大ダメージを与えられる
という具合に住み分けができており、後者になるほどリスクもリターンも大きくなっていた。ところが、ジャスガとガードカウンターを組み合わせると
ガードよりスタミナ消費と削りダメージが少なく
回避よりミスしたときのリスクが小さく
ガードカウンターを数回決めればパリィ同様に体幹を崩せる
という、すべてのムーブの最大公約数のようになってしまう。リスクリターンの観点からいって、回避する意味が矮小化されているのは否めない。
俺は最初こそ回避主体でラダーンに勝とうとしたものの、途中で「これ……回避のタイミング覚える時間でジャスガのタイミング覚えたほうがよくないか?」となった。実際、ジャスガ主体に切り替えた途端にトントン拍子に攻略が進んだし、しかもジャスガで斬り結ぶのはSEKIROっぽくて見栄えもいい。だからその強さとは裏腹に「誉を捨てている」感じもしなかった。
それはアクションか、それともRPGか
結局のところ、アクションゲームとして見るかRPGとして見るかによって、ラダーン戦ひいてはエルデンリングDLCの評価は変化する。俺の場合、このゲームはどちらかといえばRPG寄りだと認識していたから好印象だった。アクションゲームとしての認識が強ければ強いほど、レベリングや遺灰や大盾メタといったRPG的解法に頼らざるを得なくなったときの失望感は増すことだろう。「ゲームが一貫性を失ってしまった」という失望感である。
しかし本作がアクションRPGであるかぎり、この問題を完全に解決することはきっと不可能だ。どちらかの比重を高めればどちらかの比重は低くなる。あちらを立てればこちらが立たず。
もしかしたらエルデンリングは、作中で語られる黄金律と同じように、最初から壊れたゲームなのかもしれない。