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この世界は本当に - 『ワンダーウーマン1984』

コロナ禍で大作映画が軒並み延期し、俺は極端なコンテンツ飢餓に陥っていた。

もちろん、選り好みをしなければコンテンツは文字通り無限に存在する(Netflixには感謝しよう)。だが、映画館という空間自体を愛する俺にとっては予想以上に辛く長い時間が続いた。そんな12月にやってきた『ワンダーウーマン1984』は、俺をコンテンツ飢餓から救ってくれたという意味で、まさにヒーローの映画だった。

以下、ネタバレを含む。

おさらい

思い返せば、ワンダーウーマンの1作目は良さと悪さが溶け合わずに混在するユニークな映画だった。

時は第一次世界大戦中、半神的存在であるアマゾネスの末裔のダイアナ=ワンダーウーマンが、セミッシラ島に迷い込んだ米軍パイロットのスティーブを助けるところから話は始まる。戦争の裏で暗躍する軍神アレスを止め、大戦を終わらせるため、ダイアナはスティーブと共に島を出る。しかしドイツ軍の首領を倒した後も戦争は終わらず、ついに姿を現したアレスからは闘いをやめられない悪意こそが人の本性であると告げられる。一時は絶望するも、ダイアナはスティーブたちの存在を支えに人の善性を信じて立ち上がり、真の力に覚醒してアレスを撃破する……。

スーパーマン同様に人を超えた高位存在であるワンダーウーマンの認識を通じて人のあり方と信じ方を描くこの作品は、確かに優れていたと思う。ユーモアとシリアスのバランスが取れていて、アクション面もA-は堅い出来だった。ワンダーウーマンが身一つで塹壕戦を突破するシーンや、彼女のメイン武器であるヘスティアの縄を使ったロープアクションは本作の白眉といえるだろう。

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だが、浮世離れしたダイアナの感覚が視聴者の我々とシンクロしにくく、彼女と世間のズレを見せるシーンも割とありきたりなため、笑えはしてもそこまで大きな驚きや再発見に繋がっていなかったのは惜しかったといえる。

また、戦争を引き起こすのが神の意志ではなく実は人の悪意であるという二段底構造になっているため物語のテンポが独特で、かつラストバトルが唐突かつ足早なため、カタルシスが生まれにくかった。

そして、個人的にこの映画最大の弱点だと思っているのはラストバトルの暗さだ。筋書きが暗いというのではなく、物理的に暗いのだ。それまで第1次世界大戦の世界を鮮やかに描いてきたというのに、クライマックスまで来てどこで何をやっているんだかよく分からないというのはとても残念だった。

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グッバイブラザーはいいセリフだけど……

普段ならこうした良い面と悪い面を総合して評価を下せるはずなのだが、ワンダーウーマンは両者がまるで別の映画かのようにかけ離れていて、正直よくわからなかった。面白いともつまらないとも言えず、劇場を出た後に友人と首を傾げ合ったのを覚えている。

それでは、3年の時を経て作り出された『ワンダーウーマン1984』はどうだろうか。なぜかラストバトルの暗さは変わっていなかったものの、前作よりも深みを増したテーマは十分満足できるものだった。

ヴィランの不在が生む不気味さ

世界中の誰もが自分の欲望を叶えられてしまったら―
スピード・力・戦術すべてを備えたヒーロー最強の戦士<ワンダーウーマン>を襲う、全人類滅亡の脅威とは。禁断の力を手にしたかつてない敵マックスの巨大な陰謀、そして正体不明の敵チーターの登場。崩壊目前の世界を救うため、最強の戦士が失うものとは何か!?
陸海空を駆け巡る体感型バトル、ついに日本上陸! - 公式サイトより

公式サイトに載っているあらすじにも良し悪しがあるが、ワンダーウーマン1984のこれはかなり悪い方だ。実際のところ、『欲望』を主題とするワンダーウーマン1984は『体感型バトル』などというハイプから想像するよりずっと不気味な映画に仕上がっている。

その不気味さの源となるのは、悪意や目的意識を持った明確なヴィランの不在だ。

1984年、ダイアナはスミソニアン博物館で考古学者に身をやつして働いていた。そんなある日、博物館に届いた史料の中に奇妙な石があった。ドリームストーンと呼ばれるその石の台座には、ラテン語で『どんな願いをも叶える』と書いてある。新米研究員のバーバラはただのシトリン(贋作宝石にも用いられる比較的安価な水晶の一種)に過ぎないと思いつつも、冴えない自分がダイアナのように美しく強くありたいと石に願う。なんとその日からバーバラは本当に美しく変貌し、さらにはワンダーウーマンと同じ怪力さえ手に入れてしまったのだった。

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バーバラの変貌も本作の見所

一方、ダイアナもまた、無意識のうちにドリームストーンへ願っていた。彼女が願ったのは、かつて自分を外界に連れ出し、恋に落ち、共に世界を救い、そして死んだ男、スティーブと再び出会うこと。その結果、ある男に意識が乗り移る形でスティーブは1984年の世界に生き返り、ダイアナの目の前に現れたのだった。

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ウエストポーチがお気に入り

各々が願いを叶えて夢のような体験を楽しむ中、ドリームストーンに目を付けた男がいた。彼の名はマックス・ロード。カリスマ経営者にしてテレビタレントだが、CMで見る顔とは裏腹に、彼の会社は明日にも不渡りを出して倒産しそうになっていた。彼はバーバラに近づきドリームストーンを盗むと、願いを言う。『俺をドリームストーンそのものにしろ』と。一人につき一つの願いしか叶えられないというドリームストーンの制約を欺くため、彼はドリームストーン自体になって他者の願いを叶え、その見返りを得ることで、偉大な男になるという自分の願いを叶えようとしたのである。

マックス・ロードはいわば、願望の投資詐欺を考案したといえる。彼が自らの会社『ブラックゴールド』でも石油開発に関する投資詐欺を行っていたことを考えると、皮肉な話だ。

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ドナルド・トランプへの露骨な皮肉でもある

一応、物語の流れとしてはマックスとバーバラがヴィランということにはなる。マックスは際限なく膨れ上がる虚栄心を満たすため、衛星通信を利用して全人類からの願いを叶えようとする。ワンダーウーマンはマックスを止めるべく彼を追うが、バーバラは一度手に入れた力を失いたくないあまり、ワンダーウーマンからマックスを守ろうとする。世界を崩壊から救うスーパーヒーローと、欲に溺れたヴィランの闘い……これは果たしてそう単純な話だろうか?

実のところ、ワンダーウーマンが自らの願いを破棄し、蘇ったスティーブに二度目の別れを告げる段階に至るまで、この三者は本質的に同じだ。すなわち、ドリームストーンに願いを叶えてもらい、それで得た幸福を享受していたという点において。全人類もまた、同じものとして描かれている。事実、劇中で最初から最後まで願わなかった人間は(蘇ったスティーブを除いて)誰もいなかった。

だからこそ、全ての人間の全ての願いが叶えられた末の黙示録的カオスが描かれる終盤には、『ウォッチメン』『ジョーカー』に通ずる異様な不気味さが漂っている。死んでほしいと誰かに願われた人間は突然死し、有名になりたいと願った途端に人が群がってくる。そして、冷戦下で叶えられ続ける願いは世界を急速に崩壊させていく。マックスも、バーバラも、そして人類の誰も、世界の終わりなど願っていなかったというのに。

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そう、この映画には悪の主体が存在しない。スーパーマンにおけるレックス・ルーサー、アベンジャーズにおけるサノスのように世界を破滅に追いやる悪の首領などどこにもいない。前作ではアレスという神が人の悪意を煽ることで戦争を引き起こしていたので彼が黒幕ともいえるが、ドリームストーンは神の作ったアーティファクト的なものであり、これはただの装置に過ぎない。人の願いが人を滅ぼし、責めるべき対象がいないという生々しい不条理こそが、強烈な不気味さを生んでいる。

人の悪意を受け容れ乗り越えるという、少しありがちな前作のテーマから一歩進み、本作は人の欲望とその成就のあり方を我々に問いかけている。これはアメコミ映画としてはかなりユニークな点だ。

畢竟、人間は願い欲する生き物だ。欲や願いを持たない人間は生き物ですらないだろう(だからこそ既に死んでしまったスティーブには我欲がない)。だがそれと同時に、何かを得るということは常に、何かを失うということでもある。願いを叶えるために、ダイアナはスーパーパワーを、バーバラは弱者に寄り添える優しさを、マックスは最愛の息子を、そして人類は自らの世界を、それぞれ失う寸前だった。

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子供にいい恰好をしたいだけの男

願わずには生きていけない我々に与えられているのは、失ってでも得るかどうかを選択する自由だ。マックスが人の願いを叶える救い主でも稀代のスーパーヴィランでもなく地球規模のペテン師に過ぎないのは、願いに代償がつくということ、代償は一体何なのかを明らかにしなかったからだ。

ヒーローは無私の存在である。だからこそ、自らの願いを率先して捨て去るのはワンダーウーマンでなくてはならなかった。そして、ヒーローは強大であっても万能ではない。世界は全ての願いを無制限に叶えられるようにはできていないということを、ダイアナは身をもって知っている。だからこそ、不完全な世界の美しさを全人類に語り掛けるのはワンダーウーマンでなくてはならなかったのだ。

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ラストシーン、雪の積もったクリスマスマーケットを見て、『この世界は本当に……』と呟くダイアナ。恋人を二度失った彼女は、ありのままの世界を愛し、過去を受け容れ、未来に希望を持つことでついに、ヒーローとしてのアイデンティティ確立に至る。

前作よりもほろ苦く、だが確かなカタルシスと教訓が得られる本作は、苦難と混乱に満ちた2020年の最後を締めくくるにふさわしい映画だった。

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