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高みを目指して派手にくたばれ - 『サイバーパンク:エッジランナーズ』
ああ、これは、どうしようもなくサイバーパンクだ。
もう一度、繰り返そう。これは間違いなく、紛れもなく、機装的で反抗的だ。何度反芻しても、これより気の利いた修辞は思いつかない。ジャンルの名前をそのままタイトルに持ってきたこのアニメは、ジャンルの名前がそのまま感想になる。そんな作品、滅多にありえるものじゃない。そうだろう?
『サイバーパンク:エッジランナーズ』はTRIGGERにより制作された全10話のアニメシリーズだ。テーブルトークRPG『サイバーパンク2.0.2.0.』、そしてそれをベースにCD PROJEKT REDが作ったビデオゲーム『サイバーパンク2077』と世界観を共有する。監督は『天元突破グレンラガン』『キルラキル』『プロメア』の今石洋之氏。ハイテンションでアツいアニメで知られるTRIGGERが、シニカルでニヒルなサイバーパンクの世界を描く。サウナと水風呂めいた極端な温度差を持った両者。そこにあるのは禅、陰陽、そして、ニューロンを焦がすディストピアSFの昏い煌めきだ。
※この先では、『サイバーパンク:エッジランナーズ』の完全なネタバレを行う。読み進めても一向にかまわないが、スポイラーの境界を超える覚悟を決めておけ。
パンクにサイバーを叩き込む
ここは存在すべきでない街、ナイトシティ。暗黒メガコーポと犯罪が牛耳る、テックとカネとバイオレンスの天国。鋭角的な剃り込みのデイヴィッド・マルティネスは、ナイトシティの下層で暮らす不良少年だ。
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デイヴィッドは巨大企業アラサカ社のアカデミーで周囲に馴染めない生活を送っていた。アカデミーに通うのは母親のグロリアの望みであり、デイヴィッド自身は己の夢も才能の活かし方も分からない。しかも、当のグロリアはギャングとコーポの抗争に巻き込まれて死んでしまう。ナイトシティではごくありふれた、あっけない死に様だ。
身寄りを失ったデイヴィッドに残されたのは、グロリアのジャケットと遺灰、そしてグロリアが生前に機装化精神病の死体からくすねてきた軍用の義肢部品、”サンデヴィスタン”。氷よりもなお冷たく無慈悲なナイトシティで生き抜き、高みを目指すために、ストリートキッドに残された選択肢は一つだった。
パンクにサイバーを叩き込む。
サンデヴィスタンを移植したデイヴィッドは、手首に極細鋼線を仕込んだネットランナーの少女、ルーシーと出会ったことで、ナイトシティの裏稼業の道を進むこととなる。サイバーパンクあるいは剃刀の上を走る者と呼ばれる安い命の生き様、そして死に様の始まりだ。
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Boy meets Girl with Cyberpunk
ほとんどの視聴者の望み通りに、本作ではデイヴィッドとルーシー、そして個性豊かなエッジランナーズの活躍がケレン味たっぷりに描かれる。TRIGGERお得意のビビッドな作画は、サイバーパンクという題材を得たことでさらに強烈な色彩へと改造されたようだ。飛び散る血と臓物、ダイナミックに変形するサイバーウェア、蛍光色のグラデーションが弾けるサンデヴィスタン。そして、それら全てを包み込む、ネオンと悪徳に満ちたナイトシティ。アニメーションが持つ視覚的快楽という意味で、『エッジランナーズ』は他の追随を許さない圧倒的な完成度を見せつけてくる。
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全10話の半分を過ぎるまでの『エッジランナーズ』は、ハードコアなTRPGや洋ゲーとはかなり毛色の異なるジュブナイルもの、ボーイミーツガールものだ。これまたTRIGGERの十八番といえる。例えば、エッジランナーズの頼れるボスであるメインの姿には、今石監督の代表作の一つ『天元突破グレンラガン』がごく自然に重なってくるだろう。
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だが、この作品はグレンラガンではない。巨大ロボットに乗って宇宙を救うハッピーエンドなどありえない。これは、あくまでサイバーパンクだ。その世界は──我々の生きるこの現実と全く同じく──入れ子状の地獄であり、上のレイヤーへ昇ったところで、より大きな檻とより長い鎖に繋がれるだけだ。ストリートとネットを駆け抜けるエッジランナーも、大物顔をしたフィクサーも、彼らを裏で操るコーポの幹部連中も、全員がナイトシティの囚人にすぎない。
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7話が終わり、第三幕が始まるころにはエッジランナーズの運命は転落する。デイヴィッドとルーシーはそれぞれの秘密のせいでアラサカに目をつけられ、成り上がりを狙うフィクサーにハメられてしまう。追い詰められたデイヴィッドは、なんとかルーシーを救いコーポに一矢報いようと試みる。人間性の限界を踏み超えてでも。そうして、入れ子状の地獄は地獄を呼ぶ。
人の真価が問われるのはいつだと思う?
……それは、死に直面したときだ。
サイバーパンクの世界で名を残す方法は、”どう生きるか”ではない。”どう死ぬか”だ。凡人として平穏な生涯を過ごすか……名を上げて華々しく早死にするか。それを選ぶことだ。
だから、デイヴィッドは決して退かなかった。夢を持てない彼にとって、恩義ある皆の夢を背負って立ち続けることが全てだった。そして高みを目指して、派手にくたばった。ナイトシティに転がるありきたりの伝説として、デイヴィッドは語り継がれることを選んだのだ。それが彼の、そしてサイバーパンクの在り方だったから。
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『攻殻機動隊』が現在と未来への洞察を見失い、生ぬるくグダった三文SFへと成り下がったこの2022年に、『エッジランナーズ』は純度1000%のサイバーパンクを渾身の右ストレートで叩き込んできた。ダークで、アッパーで、スタイリッシュ。クロームが鈍く輝く、情け容赦のないビターエンド。こんなご時世にこんなキレッキレのアニメを見られたことが、俺には嬉しくてならない。
グッモーニン・アゲイン・ナイトシティ!
俺にとってもうひとつ嬉しいのは、『エッジランナーズ』のおかげでナイトシティに戻ってこられたことだ。
かつて、『サイバーパンク2077』の悲惨なローンチと苦痛に満ちたプレイを通じて俺が感じたのは、怒りよりも落胆、そして悔しさだった。
”これは最高のゲームになるはずだった”……その予感は確実なのに、現実にはバグまみれの未完成品を遊ぶハメになった。それが惜しくてならなかったのだ。その悔しさのあまり、俺はPS4で『2077』を一周した後にハイエンドのゲーミングPCを組み、PC版で二周目を遊んだほどだ。それでも落胆は心の芯まで深く差し込み、思うようには楽しめなかった。良いことがあったとすれば、仮想通貨需要で半導体がバカみたいに高騰する前に上等なマシンを手に入れられたこと、それくらいだろうか。
この辛い経験から1年近く経った。『エッジランナーズ』を見終わった俺はもう一度『2077』をインストールした。アニメと連動してちょっとしたコンテンツの追加もあったが、全体としてこのゲームは何も変わっていなかった……当然といえば当然だ。この1年、エンジニアたちは山のような不具合の修正に追われていたようなものだろう。『2077』のオーバーホールなど、月面開発と同じくらいの夢物語だ。
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なのに、どうしたことだろう。今になって、ナイトシティは見違えるように美しく感じる。どうやら、初期のゲーム体験で受けた痛みのせいで、俺はこのゲームを彩る無数のディテールから目を背けていたらしい。だが、『エッジランナーズ』によってナイトシティの解像度がずっと高まったことで、俺の蒙は啓かれたというわけだ。改めて再訪してみると、この街は目が眩むほどに立体的で、埃っぽくて、ゴミゴミしていて、たまらなく綺麗だ。もはや、遊ぶというよりモニタを通じて没入しているような気さえする。
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ここ数週間というもの、俺は毎日『2077』を起動し、サイドジョブを消化したりフォトモードで遊んだりしている。一度は失望したゲームなのに、スピンオフアニメひとつでここまで感じ方が変わるとは、我ながら信じられない。まさに、エンタメの魔法だ。
……繰り返すが、『2077』が最高のゲームになれなかった事実は変わらない。かなり少なくなったとはいえバグは依然として残っているし、シナリオには歪な継ぎ接ぎの跡が見え隠れする。けれど、複雑怪奇に煌めくナイトシティを超える魅力的な舞台が今のところ現れていないのも、また事実なのだ。一度は理解を拒んだそれを再び分からせてくれた『エッジランナーズ』に、俺はゲーマーとして最大級の賛辞を送りたい。
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