見出し画像

【翻訳記事】なぜ何の得にもならない仕事が存在しているのか?

VICE UK誌に掲載された記事より翻訳。

U2の同じ曲を15分もブッ続けで聴きながら、携帯ショップで待たされ続ける。ここに至るまで会話してきた27人もの人間が、私の身元を確認できなかったから──こんな経験をしたことがあるなら、官僚主義が生み出す苦痛についてはよく分かっているはずだ。我々の生活は、そのせいで根底から最悪になってしまっている。

デヴィッド・グレーバー──世界的ベストセラー『負債論:貨幣と暴力の5000年』(ラッセル・ブランド曰く、この本を読むと”ずっと賢くなる”)を書いた人類学者──は、新著『官僚制のユートピア:テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』でこう述べた。我々は、人を借金漬けにするスキームをさらに肥え太らせるため、支配階級によって作られた仕事に囚われてしまっている、と。言い換えるなら、我々は利益を搾取されるために、何の利益も生まないクソくだらない仕事ブルシット・ジョブを行っている。我々は、お役所仕事の片棒を担いでいるのだ。

官僚制はまるで社会の導き手のようだ……ジミニー・クリケットではなくレイ・ウィンストン寄りの存在であることを除けば。官僚制は常に本気で最優先されるわけではない。『官僚制のユートピア』においてグレーバーは、どのようにして官僚制が暴力性のある場所に転移し蔓延るのかについて、説得力のある複雑な主張を一心不乱に述べてみせた。仮に、警官や徴税吏、あるいは監視や脅迫を行う巨大政府機関に奉仕するあらゆる類の公務員への協力を拒めば、普通は袋叩きにされてしまう──武装した官僚(これを警察ともいう)や手酷い刑罰によって、文字通り痛めつけられることもある。何度逃げ出そうとしても、官僚制はこちらを見つけ出すものだ。

西側の資本主義国家で生きるということは、書類仕事や、オンライン登録フォームの再提出や、ボノ(訳注:U2のボーカル)の歌を聴きながら待たされるのに、祖父母の代よりも多くの時間を費やすということだ。たとえ──”特に以下のような場合は”といった方がいいか──自分が福祉制度に頼っていて、責任あるプロフェッショナルとやり取りするのに人生を費やしていても、それは変わらない。こうしたプロはいつ何時でも書類を埋めさせようと要求し、自らのところに金が転がり込んでくるように仕向けてくる。

私はグレーバーを問いただしてみた。無意味な仕事について、我々が寄って立つルールについて、そして、なぜクリストファー・ノーラン監督の『バットマン』がマントを付けただけの公務員にすぎないのかについて。

──それで、人々の仕事にはどんな問題が起きているんですか?

通りで聞けば、自分は仕事で何も”やっていない”と答える人がいるはずです。過去50年間を通して、巨大企業は何千人もの人を雇って”仕事のための仕事”に就かせてきました。しかしこうした環境に立ち入ってみると、そこでは自分の仕事に対する不平不満しか話されていないのです。

──それはおかしなほど非効率的に聞こえますね。

こんなの、明らかに資本主義社会がすべきことじゃないですよね。まるで、誰かが我々を雇うために仕事を創り出しているみたいです。

──”仕事のための仕事”とはいったいなんでしょうか?

1910年から2000年にかけて、事務的な管理業務の数は爆発的に増えました──全雇用の25%から75%まで増えたといったらイカれてるように思えますよね。公務員に中間管理職、それに事務員……こうした人々にやるべき仕事などないのです。1930年代を振り返ると、ジョン・メイナード・ケインズが週15時間労働になるだろうと予測していました。実際は週に15時間を労働に費やし、残りの35時間はサボるようになるなんて、ケインズにはわからなかったのです。

──まるで、上司がタバコ休憩に出かけている間に部下がこっそりNetflixを見ているようなものですね。

私たちは、皆好きでもないしクソだと思っているような体制を作り上げてしまいました。書類を埋めるのが楽しいなんて言う人はいないのに、なぜか書類仕事は増えに増え、人々がそれに費やす時間も増え続けています。権力の座に立つ者は、たとえやることがなくても人々を働かせ続けたいと望んでいます。FRBは「どうしたらもっと多くの雇用を創出できるだろうか?」とは言いますが、「どうしたら"実際に何かを行う"雇用を創出できるだろうか?」とは言いません。彼らにはどうでもいいことですから。

──地獄みたいな話です。

では、地獄という場所をこのように表現しましょう。たくさんの人々が、やりたくもなければ為されるべきでもない何かをするのに自分の時間を全て費やし、自分以外の誰かはちょっとしか書類仕事をやらずに逃げ出しているんじゃないかという猜疑心に取り憑かれている状態。しかし、この地獄は、現実です。

──労働から得られるべき”何かしらの”価値はきっとあるんじゃないですか?

労働がより良い人間にしてくれる、嫌いな仕事に奴隷のように奉仕しないやつは真っ当な大人じゃない、と社会は吹き込んできます。そうでない者は怠け者で、性根の腐ったたかり屋・・・・だと。

──あらら。

現代の仕事が究極的には何なのかといえば、それはペーパーワークへの極端なフェティシズムです。価値は金から得られるものであり、自分が行う仕事から得られるものではないと考えることで、我々は自分自身を騙しています。マルクス主義者からすると、これは最も古い欺瞞のネタといえますね。

──とはいえ、人生はそうシンプルじゃありませんよ。

では、次の問題へ行きましょう。ある仕事が不愉快であるほど、その報酬は多くあるべきだという奇妙な理屈についてです。有意義な仕事に就くことにすら問題があるのです。

──有意義な仕事にすら?

仕事の金銭的価値がその不愉快さで決まるとなると、有意義な仕事が鬱陶しく感じるようになります。例えば、教師に対して憤りを覚える人がいるのはなぜでしょうか?

──パワポを作るのに一日中パソコンの前に座っていなくていいから?

けれど、教師は明らかに有意義な社会的役割を果たしていますよね。自分は一日中まるでしょうもないことばかりしているように感じている人は大勢いるのに。教師は子供たちを教育する──これこそ本当の仕事です。

──街のオフィスワーカーが年収10万ドルで、アーティストは爪に火を灯すような生活をしているのも、これが理由でしょうか?

まるで、他者に与える利益が大きいほど、それで得られる報酬は少なくなるように見えますよね。もちろん、例外もいくつかありますよ。医者とかね。

──どうしてこんなことになるんでしょうか?

人々は買収されつつあります。大企業はすさまじい荒稼ぎをして、利益の再分配をするために無意味で官僚主義的な仕事を作り出しているのですから。そうして、人々は企業側に着くようになるというわけです。

”社会はこう吹き込んでくる。労働がより良い人間にしてくれる、嫌いな仕事に奴隷のように奉仕しないならそいつは真っ当な大人じゃない”ってことですよ。

──ちょっと陰謀論っぽく聞こえてしまいますね。

では、マルセイユのエレファント・ティー・ファクトリーの例を挙げましょう。私はそこを訪ねてみました。この会社は近年ティーバッグの生産を25%高速化し、そのおかげで利益がずっと増えました。それから彼らは何をしたでしょう?事業拡大?いいえ。工員数の増加?いいえ。既に雇っている社員の給料アップ?いいえ。

会社は中間管理職を雇いました。それまでは100人の社員と一人の社長だったのが、いまや100人の社員と一人のボス、そして何をするでもなくうろついている、スーツを着た25人の中間管理職となったわけです。彼らには具体的な目的などなかったので、人件費の安いポーランドに工場をまるごと移し、工員を全員解雇するというアイデアに辿り着いてしまいました。

──それは、えげつない貧富の格差ですね。

こうなると、失業者は求人に応募したり、書類を埋めたり、求人サイトに登録したり、電話したりしなければなりません。そうして、自分を雇ってくれなさそうな人の仕事を作るハメになるわけです。

──やれやれ。では、銀行はどうでしょうか?

1970年代、企業内官僚の最上位層が攻守を逆転しました。利益を生み出すため、彼らは労働者に誠実であることをやめてしまったのです。「これは政府による規則ですから」と言って、銀行の重役はいつもクソみたいな規則を延長施行するでしょう。しかし、この規則というのが誰によって書かれたものか調べてみたら、それは当の銀行だと分かるのです。銀行は我々が守れないと分かっていてルールを作っておいて、それが破られたら我々のせいだと言うわけです。2009年にJPモルガン・チェースが発表したところによると、彼らの利益のおよそ87%もの部分を手数料や罰金が占めているとのことです。

──人は官僚制を破ろうとし、そのせいで罰金を課されていると?

いかにも。体制そのものが、人を叩きのめすために設計されています。そんなものがJPモルガン・チェースの基盤になっているんですよ。アメリカで最も大きな企業の基盤にです。アメリカ合衆国は実のところ官僚的な社会なのに、それを認めようとしないだけなのです。

──なるほど。もし、今この瞬間から50年経ったら、何が起こっているでしょうか?

研究投資は変わり果てているでしょうね。空飛ぶ車なんかスクラップです。火星旅行なんてクソ喰らえ。宇宙時代なんてものは全部終わりです。金は別の場所に回されます、例えばITとか。生活でくつろげるところは全て、官僚主義的な監視のもとに置かれます。つまり、罰金と暴力ですね。

──一線を超えたらどうなります?

官僚制社会は暴力による脅迫に依存しています。私たちが社会のルールに従うのは、そうしないと殺されるかもしれないからです。これについては、図書館の例を通じて考えるといいでしょう。

──図書館?

たとえば、図書館に行って、「人生は全て肉体的強要の問題であるのはなぜか」について書かれたフーコーの著作を借りたいとしましょう。けれど延滞金を払っていなかったせいで、有効な個人IDが一時的に存在しない。門を不法に通り抜けることになる。するとどうなるでしょう?

──尻を叩かれるとか?

いずれ警棒を持った人が現れて、殴るぞと脅してきます。

──待ってください。これ本当にあった事件なんですか?

ええ、2006年に起こったUCLAテーザー事件のことを調べてみてください。警察は被害者の学生にテーザー銃を撃ち、起き上がるように言い、それからもう一度、彼にテーザー銃を撃ちました。

──この事件のポイントは?

官僚制ですよ。被害者の学生が誰であるか、なぜそこにいるかなど警察は気にしません。誰かなんて関係ないのです。同じルールを全員に適用する、それが”フェア”だからです。

──けれど、もし官僚制の頂点に立てば、そんなルールから免れるというわけですね。

官僚制は、フェアさに関する錯覚を見せてきます。法の下で誰もが平等であるという錯覚。問題は、そんなの絶対にありえないということです。官僚主義体制下で出世するには、その体制で意図しない挙動を起こす部分をなにもかも指摘するなんてできないですよね。これが実力主義だというふりをするしかありません。

──あなたの著書では、最新のバットマン映画(訳注:『ダークナイト』シリーズのこと)について書かれていました。どうしてバットマンを引き合いに出したのですか?

カートゥーンやコミックの世界では、独創的な人は誰でも危険だとされます。これは、スーパーヒーローというジャンルにおける究極のメッセージですね。スーパーヒーロー映画において非常に独創的な人ばかりが悪者にされるのは、彼らにビジョンがあるからです。

──でも、だからこそ皆スーパーヒーローが好きなんですね。

スーパーヒーローは、最も想像力に欠けた類の生き物です。ブルース・ウェインはなんでもできるのに、わざわざギャングを狩り出すのを選びました。山を切り拓いて都市を作ったり、あるいは世界の飢餓を解決することもできたでしょうに。

──つまり、バットマンはスーパー官僚ってことですか?

いかにも。彼はろくでもないものばかり支持し、人々の消費に頼って生きています。車にスーツに隠れ家と、バットマンは想像力豊かな人ですが、この想像力は消費という領域に追いやられてしまっていますよね。これが官僚主義です。自己表現するなら我々のやり方でやれ、政治に持ち込むな、さもなくばきっとひどい目に遭うぞ、というわけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?