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人生はデアゴスティーニ
あなたにとっての「幸せ」を教えてください!とのことですが、
個人の価値観によって幸せの形は変わるし、大小もある。
そのなかで、「あなたにとっての」という部分を考えてみる。
今の状態が幸せであるとも言えないし、不幸でもない。
ただ、「今」というのは、過去の積み重ねであって、頭の中の消しゴムのカスをまとめて「今」になっている。その消しカスには良いことも悪いこともあり、それを振り返ることはあっても戻ることができない。
仮に、「今」が幸せであっても数秒後は分からない。逆もまた然りである。
自分が何者か分からないと数日前の記事で書いたが、
幸せに向かっている限りは幸せではない状態かもしれない。
産まれてきたことに意味付けをしようとしても、世界を動かすようなことはできず、小さな歯車の1つにしかなりえない。
この自覚ができてこそ、身近なところから幸せを見つけることができるのかもしれない。
つまり、大きな幸せを求めるべきではなく、小さな幸せをかき集めて、その消しカス集めこそが幸せなのかもしれない。
未完成な未熟な人間だからこそ、少しの破片を集め完成させる。
そうなると人生ってデアゴスティーニみたいですね。
ただ、1つ言えることはデアゴスティーニも購入しないと完成しない。
幸せも準備されないと訪れない。
幸運は用意された心のみに宿る