人間はある程度の”不自由さ”が必要なのかもしれない

近年ではSNSなどで好きな発言が許されています。もちろん、殺害予告や誹謗中傷は許されませんが、、それに近い発言はSNSがなかった時代よりは言いやすくなってると言えます。さらに”個性”が認められる世の中にもなってきているため、比較的自由な生き方ができる時代かと思います。しかし、その自由は時に人の生死にまで及ぶ可能性があります。

時代は19世紀ですが、フランスの社会学者デュルケームは自殺論で以下の4つに分類しました。

・社会との結びつきが弱いため起こる「自己本位的自殺」
・社会との結びつきが強いため起こる「集団本位的自殺」
・社会的規制 (抑圧) が弱いため起こる「アノミー的自殺」
・社会的規制 (抑圧) が強いため起こる「宿命的自殺」

デュルケーム『自殺論』

自己本位的自殺

自己本位的自殺は、「個人と集団の関係が薄い社会において、個人の孤独感や焦燥感をベースに起こる自殺」であると同時に、個人主義が浸透した近代社会で多く見られる自殺タイプの1つだとされています。具体的には、農村よりも都市、既婚者よりも未婚者など、孤立する可能性が高い環境では自殺率も高いという考えです。
人間は「集団」という個人が奉仕すべき対象に所属してこそ、生きる意味や目的を見出すことができるため、社会集団との結びつきが希薄になればなるほど生きる意味や目的を失っていき、結果として自殺に繋がると考えられています。

デュルケームの『自殺論』をわかりやすく解説!社会学で分析した自殺理論は、現代にも通じるか? - パパゲーノCEOブログ (mentalhealthbiz.net)

集団本位的自殺

集団本位的自殺は、「個人と集団の結びつきが強固な社会で起こる自殺」とされています。確かに「集団」に所属すれば生きる意味や目的を見出せますが、その結びつきが強すぎると個人の生命は「集団」の利益や規範よりも軽んじられてしまうのも事実です。さらに、このような社会では組織に対する献身や自己犠牲が美徳と考えられています。
そして「集団」のための自殺を強要された場合でもそれに従わざるを得ないため、結果として自殺死亡率が高くなってしまうのです。典型例として、第二次世界大戦中の若い特攻隊員の少なくとも一部が挙げられます。

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アノミー的自殺

アノミー的自殺は、「個人と集団の関係とは関係なく、社会的規制が弱い状況で起こる自殺」とされています。本来、職業・役割に応じた適切な所得水準に関する規範や合意は、人々の経済的欲望を一定程度に規制する働きがあります。しかし、その規制が弱まってしまうと個々人の欲望はどんどん膨れ上がり、慢性的な欲求不満 (実現できないことへの幻滅) に陥り、結果として自殺してしまうと考えられています。
また、不況の時期より好景気の時に自殺者が増えるのは、この自殺タイプが増加しているからだとデュルケームは指摘しています。

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宿命的自殺

宿命的自殺は、アノミー的自殺とは逆に「社会の規制が非常に強く、個人の欲求が過度に抑圧されている状態で起こる自殺」とされています。さまざまな自由を奪われた奴隷の自殺や、「許されない結婚」の末の心中などが挙げられます。また、既婚女性の「自由への欲求」を阻害されたがゆえの自殺もこれに当てはまると考えられています。
しかし、このタイプは他の3つと違い『自殺論』では注でしか触れられていないため、これを除いた3つがデュルケームが分類した自殺タイプだとしている場合もあり、その解釈を巡る議論は現在でも起こっています。

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人間はある程度の”不自由さ”が必要なのかもしれない理由

学校を卒業して、一人暮らしを始め、自由を手に入れたがなぜか虚無感があるってことありませんか?アノミー的自殺がまさしくそれで(自己本位的自殺にも似ているが)、あまりにも規制がない生活をすると人は死にたくなるのかもしれません。
そのため、ある程度の不自由さが必要だと考えます。
とは言え、規制されるとストレス溜まるし、難しい・・・

何か身近なもので幸せを見つけれる習慣とかあればいいのかな、、、


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