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ピルとビバンセ(創作)
教室で勉強することに耐えられなくなり、いわゆる保健室登校になった私が心の病院で出された薬は、あまり効いている感じがしないものだった。それより副作用の方が大きかった。食欲がない。眠れない。吐き気がある。次第に服薬をサボるようになるのは自然な流れだった。それでも何かが変わるかもしれないと思いながら通院を続け、こっそり服用をサボってる薬もなんとなく惰性で受け取り続け、家に溜まっていた。
《今ドンキにいます》
《了解!診察終わってあと薬もらうだけだから、もうちょっと待ってて!》
大久保のドンキは、異国の飲料や食べ物がたくさん陳列されている。何ともなしにそれらをぼんやり眺めて時間を潰した。そうか、ここはこういう食べ物が並ぶ街なんだ。道を歩いても、すれ違うのは外国人ばかりだ。
ほどなくして、彼女はドンキに現れた。名前は知らない。「お姉さん」と呼んでいる。年齢は30代くらいだろうか。
「久しぶり。ちょっと買い物してもいい?すぐ終わるから」
大久保だか新宿だかそのあたりに住んでいる彼女は、このあたりは「庭」のようだった。ドンキに入るなり、探しもののコーナーにまっすぐ足を進め、商品を手に取り、あっという間に会計を済ませた。
「すぐそこのセブンの2階にイートインあるから、そこ行こっか」
彼女は、腕にも、首元にも、手の甲までタトゥーでいっぱいだ。初めて会った日は恐怖を感じたものだった。ピアスを装着していない空虚な耳たぶの穴がいくつも見える。メイクは日によってまちまちで、すっぴんに近い日は割と優しい顔立ちをしている。話し方は普通の常識人なので、人は見かけによらないのだと思う。
「はい、じゃあこれ」
「私も。これで一応、3週間分です」
ネットで知り合って1年くらいの付き合いになる私たちは、おそらく、いや確実に法に抵触している。
お姉さんから、先ほど処方されてきたというピルを受け取る。私は事情があってピルを出してもらえる病院に行くことができない。
代わりに、私はお姉さんにビバンセを渡す。
ビバンセは、18歳までの子どもにしか処方されない薬だ。覚せい剤を安全にまろやかにしたような成分の薬だという。発達障害の子どもに使われるらしい。私は、発達障害なのだろうか。それもわからない。ただ副作用が辛くて逃げた。
お互い、トレードしたモノをすぐにカバンにしまう。
「最近はどうなの?学校とか」
「うーん、別にビバンセなくても生き延びれるって感じではあるけど。だから譲ってんだし」
「あるけど?」
「副作用がしんどすぎて乗り越えられないですよあんなん。正しい効果出るまで。だから他の鬱とかの薬を試してみてるとこですね」
「そっかー。アタシはビバンセめちゃくちゃ合ってて助かってるんだけどねー。なんで子どもにしか適用ないんだろ」
「あ、じゃあ最近は体調いいんだ?」
うーん、と彼女は言い淀んで、
「いや、彼氏が逮捕されちゃったんだよね」
「へ?」
「そう。それで『お前は逃げろ』って言われて、今は神奈川の小田原の友達の家に匿ってもらってる。まあ別に私は悪いことしてないんだけどさ、一緒に住んでたから色々とね…。つまりもう大久保とか新宿とかこの辺には住んでないのよ」
「え、待って待って待って、逮捕って、何したんですか。クスリ?」
「詐欺罪〜」呆れたような間の抜けた声でお姉さんは答えた。
「なんかお金めっちゃ使ってたっぽいし、羽振りがいいとは思ってたんだけどね…」
「好きだったんですか?その人」
「全然。クズだった。でも抜け出せなくて。だから逮捕がキッカケで、別の男友達が救い出してくれて。今その人と付き合ってる」
そっかぁ〜、良かった。
「ピルはちゃんと飲んでる?」
「はい。たまに忘れそうになるけど」
「オネーサン的には若いうちに大いに遊ぶのはいいと思うよ。でも本当、ワンナイトは気をつけなね」
「いろいろ疲れるんですよ。進学校で、保健室で勉強しながら成績上位キープしつつ、さらに校則守って教師に気に入られて、優等生のフリすんの。ワルイコトして、ガス抜きしなきゃやってらんない」
「なんか昔のアタシとそっくりかも。あはは」
「えっ優等生だったんですか!?」
「そこじゃないし!」
アフピル必要だったらすぐ連絡してきていいかんねー、とお姉さんは右手をひらひら振った。私は軽く頭を下げる。
また会えるだろうか。わからない。地に足がついていない人は風船のように飛んでいく。お姉さんの姿や、会話の端々に、風船の持ち手の紐が見える時がたまにある。思わずそれを掴みたくなるが、そうする資格は私にはないと思う。
彼女は小田原に向かう小田急新宿駅へ、私は阿佐ヶ谷へ向かう総武線大久保駅へ歩き出した。