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#6 生活綴方/中岡祐介

出版社三輪舎の代表中岡祐介さんは「おそくて、よい本」を掲げ出版活動をしている。また、70年以上横浜の妙蓮寺で続く〈石堂書店〉と、本をつくるための本屋〈生活綴方〉の経営にも関わっている。ひらかれた地域社会、ふらりと立ち寄りたくなる本屋、暮らしの中で読みたくなる本が中岡さんのところにはある。そんな彼に聞いた、本づくりと場づくりの漕ぎ出し方。

大手書店を離れ、自らの手で出版をする

NC:三輪舎を立ち上げる前はどんな仕事をされていたんですか?

中岡:映画に関わる仕事がしたいと思い、当時映画館や映画配給の部門があったカルチュア・コンビニエンス・クラブに2006年に入りました。最初の1年間は研修のために直営店には配属になるのですが、ぼくの配属先はTSUTAYA TOKYO ROPPONGI(現在は六本木蔦屋書店)で、アートブックを担当することになりました。しだいに映画よりも本の面白さに惹かれるようになり、いつか本屋をやってみるか、出版社もいいよな、みたいなことを考えるようになりました。その後、本部でバイヤーやスーパーバイザーなどを6〜7年務めて退職し、三輪舎を始めたのは2014年です。

NC:〈ATELIER〉の店主の早水さんも、TSUTAYA TOKYO ROPPONGIでアルバイトをしていたと聞きました。クリエイターや芸能関係者が来る勢いのある店だったんですよね。

中岡:すごい時代でしたね。アートブックやファッション系の写真集など、あらゆるものが飛ぶように売れていました。お店のディレクションをしていたBACHの幅允孝さんが持ってきたブルース・ウェーバーのビンテージの写真集などもどんどん売れる。僕もアートブックをいっぱい買い漁りました

NC:六本木には青山ブックセンターもありましたよね。

中岡:そうですね。そう遠くないところに、いまはないけれど〈hacknet〉とか、移転した〈UTRECHT〉とか、個人でやっている新刊書店、アートブック専門の本屋が集まっていて、その当時の先端でしたね。その一角で働かせてもらえたのはとてもよかったです。

NC:本部ではどういった仕事をしていたんですか?

中岡:TSUTAYAの多くはフランチャイズで、加盟している企業を担当して、その企業向けの仕入れを代行していました。他には、北海道の北見市や苫小牧市、八戸市などを担当してお店をつくったり、競合対策をしたりしていました。数字には疎かったのですが、いまこうやって本屋の経営を代行しているのも、CCCでの経験があるからかなと。

NC:その経験があれば町の本屋は経営しやすいですよね。大小あるけれど数字がわかりやすいじゃないですか。なぜCCCを辞めたのですか?

中岡:常に誰かと競争する環境は、僕みたいな人間に合うわけがないじゃないですか。

NC:出世競争に興味がない。僕も出版社に7年いましたがまったく出世できる見込みも特性もなかったです。というか会社で上がっていくのは別の能力です。

中岡:のんびりとやらせてくれるような会社じゃないので、出世しないとだんだんいづらくなってくる。あと、TSUTAYAの店舗数はぼくが退職する頃がピークで、それ以降は各地の店舗を閉店させることが基本のミッションになっていくだろうと薄々感じていたので、それは僕には無理だと。実際に僕が関わったお店も閉店して、いまはほとんど残っていません。六本木が楽しかったから本にかかわる部署に行きたかったけどまったく叶わないし、代官山に蔦屋書店ができたときにはもう諦めていました。その時には大企業の中で人事異動や評価を気にしながらやっていくよりは、自分で自分のキャリアをつくっていきたいし、成功も失敗も自分のものにしたい。もっと自分に跳ね返ってくるような場所で働きたいと思っていました。

NC:本屋ではなくて出版社を始めたのはなぜですか?

中岡:お金がなかったので。CCCで稼いだお金は、出張先の飲み屋とかどこかに消えてしまった……。

NC:いっぱいもらってもいっぱい使う時代でしたね。人間関係を保つために。非常に下らない!!

中岡:まあまあまあ。

NC:東京に住んでいたので、家賃が給料の半分以上して。あとは、毎晩飲み歩いてお金を使わないと人間関係を築けないと思っている間違った時期がありました。金があろうがなかろうが、人間関係はつくれないのですが…… 。仕事を発注する側として付き合っていた人が多かっただけで、発注することがなくなれば飲みに誘われることもない。本はたくさん買っていたけれど、それもやっぱり付き合いで買うことが多かった。三輪舎は自分のつくりたい本があって始めたのですか?

中岡:具体的に言えるほどつくりたい本はありませんでした。最近やっと言えるようになったのですが、自分はCCCのような環境から逃げ出してきただけで、覚悟のない軽率な人間だったと思うんですよ。でも、軽率だからできたと思うし、軽率じゃなかったらそもそもやっていないです。

NC:一番最初に出版した本はなんですか?

中岡:『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。』です。この本ができたのは2014年12月13日で、僕の子どもがその翌日に生まれたんです。会社をつくってさてどんな本をつくろうかというときに、子育てが自分の身近なところで始まって、待機児童問題がいまよりも話題になっていた時期だったから、自分の課題をそのまま本にしようと考えて。社会批評のような本をコピーライターの方と一緒につくりました。3000冊刷って一年で2500冊くらい売れたので、できるじゃんと思いました。

NC:初めてで3000冊はすごい数字ですよね。自分の興味と合っていたということなんですかね。

中岡:自分の興味くらいしかなかったんですよね。そこから子育ての本の二冊目『父親が子どもとがっつり遊べる時期はそう何年もない。』と、三冊目の『未来住まい方会議』をつくったところで、いきなりネタが尽きて、ちょっと迷ってしまって。

NC:どのように次の本へ向かったのですか?

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