#5 C.I.P./西山敦子
静岡県三島市にあるオルタナティブスペース〈CRY IN PUBLIC〉。ここは、翻訳家の西山敦子さんと彼女の友人たちが立ち上げた「人が集まることを主体とした場所」だ。西山さんは、男性文学者の妻やパートナー、声を抑えられた女性たちの物語からはじまる『ヒロインズ』というアメリカで出版された作品に魅了され、自ら邦訳し、C.I.P.を拠点に出版した。思いと場所と翻訳をシームレスにつないで活動する彼女に話を聞いた。
「ちょっとパブリックなところ」としてつづく“CRY IN PUBLIC”
NC:C.I.P.を立ち上げたきっかけを教えてください。
西山:2011年11月に夫の仕事の関係で東京から三島に引っ越してきたんです。三島には知り合いがほぼいなかったのですが、実家がある東京は電車やバスで行ける距離だし、最初の頃は頻繁に行き来しながら暮らしていました。仕事は家でできるし、外との断絶があるような感じでもないし。でも、妊娠と出産でガラッと生活が変わってしまいました。友だちに会いに行ったり実家にふらっと帰ることもなかなかできなくなって、新しい生活環境で行かれる場所を見つけようと思っても、性格的なことや、小さな子どもがいることが理由で難しくなってしまって。行かれる場所がないと寂しいし辛いなと思って、自分たちでつくることを考えました。
NC:そうだったんですね。三島と聞いたときに少し意外でした。
西山:三島に唯一いた友人たちと一緒に始めました。それぞれに生活はあるけれど、家や職場以外の「何かをする場所」を持ちたいという気持ちがあったのだと思います。
NC:過去にこのようなスペースがあって、似た場所をつくったわけではなかったんですね。
西山:家や学校、職場以外の居場所とかをサードプレイスと呼んだりしますけど、3番目というのは生活の中でかなり大きな割合を占めるじゃないですか。そこまでじゃなくて、ときどき行く場所がいくつもあったらいいな、そのうちのひとつになれたらいいのでは、と個人的には考えています。商品やサービスを提供するわけではなく、人が集まることが主な目的の場所がコンセプトというか、そうであってほしいと思っています。
NC:Zineがたくさんありますけど、Zineをつくる場所でもないということですよね。
西山:そうですね。もともとここの近くにあったお店(cucurucuというカフェ)でZineを持ち寄ったり交換したりする会をやらせてもらっていて、お店がなくなってしまって。それもあって場所をつくりたいと思いました。出版や文学の紹介、それに関わる何かをするプロジェクトの拠点としても使おうと最初から決めていました。
NC:Zineを持ち寄ったり交換したりする会は、いまもやっていますか?
西山:月に1度ですね。C.I.P.とはまた別の〈Quiet Hills Zine Collective〉というコレクティブが主催で「Our Table」という集まりを開いています。10年続いている会なので、C.I.P.ができるよりも前からやってますね。
NC:Our Tableにいつも来る人たちは、どんな人ですか?
西山:近所の人がほとんどです。Q.H.Z.C.の3人しかいない時もあるし、旅行がてら来てくれる人もいます。
NC:場所やイベントを続ける理由はなんですか?
西山:都市部でも地方の小さな町でも、その生活環境が影響している個別の状況があると思うんですよね。私は自分なりにそういうところにコミットしていきたいと思っていて。はじめから個人的なことと社会構造との関わりなどについての話はできなくても、場所を開いて、少しずつ顔を合わせて、徐々に親しくなって、段々とお互いの状況を知って、困った時には助け合える、みたいな関係性に近づいていけたらいいなと。そういうことを、個人間のつながりや個人的な集まりよりは少し大きい、ちょっとパブリックなところでやりたいなと考えています。
NC:「手を動かす日」や「詩を持ち寄る日」は、そういう理由で開催していたのですね。来る人は増えたり減ったりするかもしれないけど、月イチでは開いている。それを都市部ではなく、三島で自分が無理のない範囲で続けていること。この場所がよりどころになっている人の姿が思い浮かびます。
原書に滑って向かっていくような翻訳
NC:英語はどこで学んだのですか?
西山:最初は高校生の時に1年間オーストラリアに留学して学びました。大学院に入る時にも結構集中的に勉強したかもしれない。
NC:英語で文章を読めるようになったのはいつ頃ですか?
西山:大学生の頃ですかね。英文科の授業を取った時に、テキストの内容が面白くて難しいものを読むのも苦じゃなくなりました。
NC:これまでファンになるものは英語圏のものが多かったですか?
西山:「英語圏」という意識はなかったと思いますが、子どもの頃から翻訳の児童文学が好きだったと思います。大学2年生の時にアメリカ文学の先生が担当するレズビアン文学の授業を取りました。そこでカーソン・マッカラーズという作家を知って、専攻を変えて大学院に行きました。結局、文学研究の道には進まなかったのですが。そこからある特定の時代や地域に根づいた文学シーンなどについて知って興味を持ち、自分でファンジンをつくるようになりました。
NC:それはどんなものだったのでしょうか?
西山:文学とか映画とかから断片を集めてきて、ハサミと糊で切り貼りをしてページをつくり、自分の中にあるものをZineとして形にする、みたいなことをしていました。パーソナルな要素の強いファンジンというイメージです。
NC:NEUTRAL COLORSもZineをつくる感覚で雑誌をつくっています。個人的なことしか取り上げない。どうでもいいと言えてしまうような、個人的なことがクリエイティブだったりします。Zineのために翻訳をしたことが、翻訳家になったきっかけですか?
完全にインディペンデントとして存在し、オルタナティブな出版の形を模索し続けます。