「ウサギとカメ」でカメは結局ウサギと競争するという選択をしています。 そうではなくて、はじめからウサギとは一切競わずにカメはカメとして自分のできること楽しいことを淡々とこなしていくのが精神衛生上良いんじゃないかと思うようになりました。 ということでカメ側の人なので、思いついたことをカメのペースで書くくらいでいいかなと思いました。
どっちの道を行っても大変であるのなら自分でこっちだと本気で思った方に進みたい 進みたいと思っていても、腹をくくって進んでいく覚悟ができていないので逆の道を進んでしまう 逆の道は楽なのかもしれない しかし、心は全然喜んでいないので本当は楽なんかじゃない しかも、じわじわと残された生の時間を奪われている
元専図さんやOK! soraさんのリリスに関するYouTube動画から自分自身のリリスについて考えるようになった 数ヶ月考えてみて、自分自身が抱えているリリスの正体は「劣等コンプレックス」なのだろうと思うようになった 長い間この劣等コンプレックスに支配されてきて、行動ができなかったり、月水瓶座を使って変な方向に動いてしまっていたのは、過去を振り返っても思い当たることばかりだ 思い起こすと、小学生の頃まではそこまでリリスに支配されずに日々を過ごしていた しかし、中学生にな
雨風をしのげる壁と屋根があるお部屋 スイッチひとつで部屋が明るくなる照明器具 情報収集やコミュニケーションの場を提供してくれるPCとインターネット 雨でびしょ濡れになって冷えた身体を温めてくれる浴室 のどが渇いたらすぐに水分補給できる水道(+簡易的な浄水器) 空腹を満たしてくれるお米 外からの光を完全に遮った4畳半の寝室 8時間から10時間の睡眠を支えてくれる煎餅布団(硬い布団好きなので^^) 好きなときに用を足せるお便所(「便所」って表現が大好き) 今はし
10年間無職でいたのは「労働したくない・労働を通して人と関わりたくない」という目的があったからで、なにか原因があったわけではない また無職に戻りたいのは「自分がやりたいことではないことに時間を割きたくない」という目的があるからで、なにか原因があるわけではない でも無職復活に踏み切れないのは「金銭面(大した額じゃないけど^^;)で不安になりたくない」という目的があって、なにか原因があるわけではない そう考えるとしっくり来る 「金銭面で不安になりたくない」という目的から「
1日のなかで最も活動的になれるのが14時から18時辺りなので、この時間を労働で縛られて自分が本当にやりたいことに注力できないと、段々生きがいがなくなってくると実感した それとは関係ないけど、この時間帯に昼寝などをすると却って調子が悪くなるのでとにかく動く時間にしたいと思った 就業時間という見えない鎖に縛られると、こういった時間のコントロールも満足にできない 自分を律するってことは、すべての時間を自分の責任で誰かに依存することなく自由に使うことなのかな?
縦社会や上下関係は学校や会社の先輩/後輩、上司/部下だけでなく、(顔見知り/見ず知らず関係なく)他人に対して勝ち組/負け組、エリート/底辺など勝手にジャッジすることも含まれると思っている 私はそういうジャッジをするのもされるのも嫌なので、意識的には対等に自分も他人も見ようとしているけど、長年の教育や社会の刷り込みからまだまだ無意識に人を上か下かでジャッジしてしまっているのかもしれない 大抵の場合、そういった無意識下のジャッジでは自分のことを他人より下に見てしまい必要のない劣
それほどきつくない仕事でも1日8時間、週5日働くのはしんどい このしんどさの原因は自分の時間が削られることにありそう 無職時代に嗜んでいた読書とか筋トレとか勉強が最近はほとんどできていない 器用に立ち回れば仕事をしながらでも趣味や自己研鑽を行えるはずだけど、私は労働から開放されたあとに寝ることや寝ることや寝ることやネットに触れることで心身を回復してからやっと自分のやりたいことに着手できる不器用なタイプなので、自分時間が沢山ないと何もできなくなる 自主的週休3日をしていたと
自分の苦手なことを思いつく範囲でまとめてみた ・競争する スポーツや受験や就職活動などで他人と競って勝ち取ることが苦手でずっと避けてきた 点取り競争ではない学びが主体の勉強であれば、面白くてのめり込んだことはある ・決断する 選択肢AとBがあったとき、どちらにもメリット・デメリットがあることを考え、迷いに迷って「Cという選択肢はないだろうか?」と新たな選択肢を探すこともある ・人前で話す 人前で話そうとすると言葉に詰まって次の言葉が出てこなくなることがある これは
電車に乗るのが嫌いなので普段は徒歩か自転車で移動するけど、どうしても電車に乗らないといけないときは、窓から外を見て「A駅からB駅まで見える範囲で赤色の屋根の家が○軒、緑色の屋根の家が○軒、青色の屋根の家が○軒」のようなことを頭の中で数えて記憶する遊びをやっている 屋根の色は黒やグレーがほとんどなので、あまりない赤や青にしておくと住宅が密集する場所でも記憶できる範囲で数えられる これは、明るい時間帯なら天気に関係なくできるけど、暗くなると見えなくなるので、今度は「見える範囲でラ
本やネットで選民思想的な表現を見かけると反射的に嫌悪感を抱いてしまう 幼い頃は選民思想的な刷り込みのある作品を好んで見ていたこともあったけど、年を取るごとにそういった作品を受け入れられなくなってきた 特定の宗教を信仰しているだけではないけど、なにかのきっかけでアニミズム的な価値観が私の中に根付いたのだろう
小学生の頃から修学旅行など共同生活への苦手意識があってそれは成人してからも克服できていないけど、これからの時代は共同生活する能力が求められそうだからきついな 一人でいることが好きで家族以外で誰かと一緒に過ごすことを避けてきたので、元々苦手なのにさらに経験値不足も相まって、共同生活がまともに行えるようになるのはとても長い時間がかかりそう
時が経てば好きなことは変化する 好きなことにこだわっていたら視野狭窄になって新たな経験をするチャンスを失ってしまうかも 世の中には未経験で好きでも嫌いでもないけどやってみたら楽しくて好きになってしまうようなことがたくさん隠れているはず
無職だった頃は時間がたくさんあったので、今より趣味や運動をする時間が圧倒的に多かった 実家のお世話になっていたというのもあるけど、今より収入や貯金が少なかったのにその頃の方が今よりは楽しく生きていた 私の場合、自由に使える時間が多ければ多いほど幸福度が上がるのかも
いつ死ぬかわからないのに今のつまらない労働を続ける意味はあるのか 失うのが怖くて本当の自分の価値観に沿ったことをできないでいる 失ったって大した事ないものしか持っていないのにね 死を本気で覚悟したときに初めて自分の価値観に沿った生き方ができるようになるのかな
農作物にしても海産物にしてもそれを現金に替えようとするからとりすぎて枯渇してしまう 今必要な分だけをとれば枯れることなくとり続けることができる 食欲、性欲、睡眠欲が満たされていれば人はほとんど悩むことはないんじゃないか エコビレッジを作っている山納銀之輔さんの話を聞いていろいろと考えさせられた 私も含め多くの日本人は幼い頃からお金がないと生活できないと刷り込まれているので、まずはこの思考から抜け出すことが重要になってくるのかな 今の生活を続けていれば簡単には抜け出せないけ