賞について変な事呟いてましたが、あれは賞自体がどうのというのではなくて、賞を獲られましたという事を過剰に取り上げること持ち上げることに、視聴者として違和感を感じたということです。ただ、たまたまその報道をしょっちゅう見かけただけだった気がしてます。
『呪術廻戦』はセリフとキャラクターが際立っていると個人的に思う。特に男性社会に生きる女性の言葉、そして気色の悪い まさに呪いという感じの呪霊達が。 オマージュや既視感が共感につながる。 「呪い」という言葉は、やはりなんだか女性像が思い浮かんでしまう。(個人的には
薬のエグ味は不味さ、珍味のエグ味は旨さ
音楽配信プラットでカフェの名のつくプレイリストを再生「したくなくなる」とメンタルが落ち着かなくなる。「カフェ」で括ることによってそれぞれの曲に内包されているはずの事柄に意識を向けなくなるためBGMとして最適。
呪術廻戦をアクションファンタジーアニメとして面白くて観ているが、体育会系の雰囲気は自分のノスタルジーにないので、時折エグみのようなものを感じる
こんな日に 自宅で淹れるコーヒー啜る リモートよ 幸。
基本的に、自分の素のままの言葉って醜いものなので、口にしたり文字に書き起こしたりした瞬間に呪いみたくになって怖い (苦笑
文句があっても直接言わないのがマナーらしいこのアンヘルシーな世の中。無駄に共通項みつけたり、想像や妄想が膨らみやすくて統合失調症にさえ繋がりそうなメンタル疾患が増えているに違いない。所謂HSPに当てはまる人間は特に危し
人の親が皆んな人格者だったら、世の中に犯罪はなかっただろうに
ホモソーシャルは海の中にあり、それが浮上してきたらしい 芸術という浮き輪にしがみつき 💸
「若者;バカモノ」というのは年齢関係ないのです。💸 賢い若者は世の中に沢山いる。
甘い汁を吸うには闇い汁を鼻を詰まんで飲まなきゃいかんらしいデェ 💸
何でも勉強と思って観るのも大事だけれど、「これを観たり聴いたりすることで自分の時間が奪われる」という感覚も大事なんだという事もある ドラマ、映画や音楽は特にダケド(拝観料だけでなく時間がかかっているのです)Nft💸は関係作りに色々取られるヨウダケド
何が日常か非日常なのかは人それぞれ。所謂会社員にとってアートも学問も非日常的なるもの。深めていけるなら日常になる。
大衆音楽のライブ(多分スポーツ観戦も)に参加するのは、日常を離れて”うさ”を晴らす作用もあるからで、そこに思考する必要はあまりない。様々な非日常性があるだろうけど、非日常的なるものには考える事だけでは片付けられないものもあるのかしらと思っている。
一億総クリエイターにされると制作意欲がなくなる 純粋に、何となく作ってみたくなった が否定されるかのような。そしてそんな「何となく」をガーリーに繋げられるのが腹立たしい