アストロサイトと恐怖記憶(2021年11月Nature Neuroscience掲載論文)

脳には神経細胞以外に、グリア細胞と呼ばれる細胞が存在する。アストロサイトは脳の構成細胞の中でも最も数が多い細胞で、脳の中には神経細胞の数の数倍から10倍程度の数のアストロサイトが存在する。

これまで、アストロサイトは脳の支持をしたり、栄養を供給する、いわば神経細胞のサポート役(脇役)のように考えられてきたが、ATP、グルタミン酸、D-Serineなどのグリア伝達物質と呼ばれる物質を放出することで神経機能を調整し、積極的に脳機能を制御していることがわかってきた。実際、記憶の形成や維持に非常に重要な役割を果たしていることも最近の研究により次々と明らかになりつつある。

今回紹介する論文は中国の第三軍医大学からの報告で、恐怖学習におけるアストロサイトの役割とその仕組みを明らかにした。タイトルは「Fear learning induces α7-nicotinic acetylcholine receptor-mediated astrocytic responsiveness that is required for memory persistence(恐怖学習は、記憶の持続に必要なα7-ニコチン性アセチルコリン受容体を介したアストロサイトの応答性を誘導する)」だ。

恐怖記憶には様々な脳領域が関与していることが過去に報告されており、一次聴覚野もその1つだ。色んな脳領域がある中でどうして標的として一次聴覚野を選択したのかは特に記載がないように思われたので不明だが、単純にin vivo imagingがやりやすく、手が出しやすかったのだと推測している。

音、光、場所(文脈)など、それ自体では恐怖反応を誘導しない条件刺激(conditioned stimulus; CS)と、電気ショックなどの恐怖反応を誘導する非条件刺激(unconditioned stimulus; US)を提示すると、動物は両者の関連を学習し、恐怖反応を示すようになる。これを恐怖条件づけという。今回の実験ではまず、恐怖条件付けを行っていない状態で、一次聴覚野のアストロサイトをin vivoでCa2+イメージングしながら、フットショックと音をそれぞれ提示したときの応答を観察するところからスタートしている。その結果、一次聴覚野のアストロサイトは音刺激単体ではほとんど活性化せず、フットショックを与えたときに活性化することがわかった。

これまでも一次体性感覚野や脊髄後角のアストロサイトが痛み刺激に応じて活性化すること、そして、そうしたアストロサイトの活性化には青斑核から放出されるノルアドレナリンと、アストロサイト上に存在するα1アドレナリン受容体が関与していることが知られている。薬理学的検討により、責任受容体を探ったところ、どうやら今回発見されたアストロサイトの活性化にはα1受容体は関与していないことがわかった。種々のアンタゴニストを用いた検討により、α7-ニコチン性アセチルコリン受容体(nAChR)を介した活性化であることが明らかになった。

続いて、恐怖条件付(CSとして音、USとしてフットショック)を行うと、一次聴覚野のアストロサイトが音刺激で活性化を示すようになること、そしてα7-nAChRを介した活性化であることを自由行動下のマウスで示した。

では、α7-nAChRを介したアストロサイトの活性化がどのような生理的役割をもつのだろうか?著者たちはアストロサイト特異的にα7-nAChRを欠損させた動物を作成し、行動実験を行うことで解析を行うことで、その答えを確認した。まず、GFAP-CreERT2マウスとChrna7loxP/loxPマウスを掛け合わせることで、アストロサイト特異的にα7-nAChRを欠損させた。続いて、恐怖条件付けを行い、α7-nAChR cKOマウスと非欠損マウスとで比較を行ったところ、CS刺激を行った際に生じるすくみ行動がcKOマウスで有意に低下した。

しかしながら、上記の検討では、一次聴覚野以外のアストロサイトでもα7-nAChRが欠損されているため、一次聴覚野のアストロサイトの役割であるかどうかは不明である。そのため、一次聴覚野のアストロサイトのみでα7-nAChRを欠損した動物をAAVを用いて作成し、同様の検討を行ったところ、やはりすくみ行動の減少が見られた。面白い工夫として、一次聴覚野アストロサイトのα7-nAChRの欠損を、恐怖条件付けの前と後との2条件で試みている点である。この実験結果から、タイトルにある「記憶の持続」にアストロサイトが重要な役割を果たしているという結論を導いている。

主要な結果は以上である。この論文で特筆すべき点はやはり、α1アドレナリン受容体以外の経路での神経-グリアインタラクションが恐怖記憶に果たす役割を見出した点に尽きると感じた。もし、ほかの脳領域と同様にα1アドレナリン受容体での活性化が一次聴覚野アストロサイトでもあった、という発見であれば、新規性という点では少し驚きに欠けるため、Nature Neuroscienceではなく、Communicationsに掲載されていてもおかしくはなかっただろうと個人的には思っている。nAChRを介したアストロサイトの活性化によって、アストロサイトから何が放出され、どのような神経に情報を伝えるのか。観察野の全てのアストロサイトが活性化していたわけではないので、特定の集団だけが恐怖記憶に関与すると思われるが、どのような特徴をもつアストロサイトなのか。一次聴覚野のアストロサイトはどこからくるアセチルコリンを受け取っているのか、また、同一のアセチルコリン起始核は一次聴覚野のアストロサイトだけに特異的に作用するのか。まだまだ謎は多く残るように感じた。


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