校正紙
あれも書きたいこれもいいなとネタばかり思いついて、noteを開くまでの時間がなかなか取れず、今日に至りました。
最近、2〜3年ぶりに自分の作品を見直す機会があって、ついでに夫や仕事仲間の人たちとの会話ではよく盛り上がる話題を文章にまとめてみる機会にもなった。
思っていること、思いついたこと、やっぱり目に見える形にしないとダメ。文字でも絵でも図でもいいから。それに、そのためには日頃書(描)いていないともっとダメで、全然まとまらない。というか思ってるんとちゃう!ってなる。アレとコレは繋がっているんだけど、なんで繋がってると思うんだろか…とか、ん?これじゃ支離滅裂だわ…とか。
語彙力と可視力とでもいうのか、これは訓練ですね。いつも書く訓練。
今回の「見える化」は、ポートフォリオと出題されているお題について文章にまとめること。夏休みを使った自分で開いた子ども向けのワークショップの最中に始めて、体は作業に奪われていても、頭では考えをまとめようとひっつき虫のようにお題がへばりついているという状態を一ヶ月。たまにメモをするけど「なんかちゃう…」を繰り返す。そうこうしてる間に体が空いて、とにかく作業が必要なポートフォリオにかかる。過去に作ったものをリメイクするのでそんなにかからんやろと思っていたら、フォーマットで迷走して意外に時間を使ってしまう。うー…どんどん締め切りが迫る。
ええいっ!逃げてやる!
奥田英朗の軽快なやつ(完全犯罪小説)を読む。寝る。我が子のことに集中する。食べる。
ちょっと逃げたらスッキリして、広告関連の雑誌のバックナンバーを漁って読んでいなかったページを読み、「あーアメリカは進んでるなー」と感心してみたり。日本人ならちゃんとした日本語使えなきゃと背筋を伸ばしたり。
ポートフォリオはフォーマットが決まれば作業だけとはいえ、過去の自分との面談みたいなもの。やってきたこと、やってしまったことでしかない。けれど、自分一人でやれたことではない。まずは顧客、顧客の先のお客さん(需要)、そしてこの仕事を取ってきた営業の人、一緒にデザインしたライター、デザイナー、印刷会社の人、経費や売上を管理してくれた経理の人。これはみんなの作品なのだということ。
リメイクしていたポートフォリオにお尻を叩かれて、文章の方も数ヶ月分のメモが役に立ち、まとまってくる。
そして、草稿とポートフォリオを印刷してみる。
かつて会社に所属していた頃の校正は、社内外含め関係者全員が目を通して、アカ(修正指示)を入れて直して、のやりとりを繰り返して、ほぼアカがない状態になってインクが紙に載せられる。でも今の私は、明日の私にアカを入れてもらうしかない。明日の私は、今の私に、「昨日の私よ、ここはもっとこうしようよ」と言うのだ。明日の自分も今の自分もアカがないことを信じる。その繰り返し。
校正紙は、それが凝縮されたもの。印刷が完了すると捨てられてしまう運命にあるけれど、印刷会社から戻っていた校正紙を私はいつも一週間は捨てられなかった。時間と思いの往復書簡。それは今もで、ポートフォリオのデザイン案がまだ捨てられない。
提出は締め切りギリギリ。さあ、どうなることやら。
でも、もう過去のこと。これから出る結果に私がどうこうできることはない。「昨日の私」の積み重ねが頑張ってくれるのをただ応援するのみぞ。
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