フラれる準備
私は人生で何回フラれただろうか…好意があると告白して思いは届けられても、相手が同じ気持ちで私を思っているとは限らない「好きです」を発するのは、虚しく、切ない。
私をフった人たちの返答もそれぞれ。私があまりにもしつこかったのか、結構ひどい言葉を言われたこともある。その瞬間は、なんてひどいことを言うんだ…と愕然とするのだけれど、結局言わせたのは私だ。
ひどい言葉でないにしても、フる方も大変よ。好きになれないのに、好かれてしまって、何を言っても傷つけてしまうのはわかっていて、断らなくてはいけない。フる方だって辛いんだ。
もう好いた腫れたとざわつく頃を遠に過ぎているけれど、つい先日、結構マジで告白に挑んだ、もとい、就活に挑んだ。これが、このフラれる前の気持ちによく似ていた。返答を待つ毎日がなんとも言えない浮遊感。高みを望んだ職先なだけにきっとフラれるとわかっているのだけど、「もしかしたら!!」と10のうち1くらいの頻度で朗報をイメージしてしまう。だって、すごく久しぶりに無い頭絞ったから。
そう、そうなのだ。そういえば、私はいつもこうしてフラれるのを待っていたな〜と妙なことを思い出す。頑張ったから大丈夫!なんて、頑張りと結果は必ずしも結びつかない。いやほとんど無関係。前準備もその時の一所懸命さも、相手の心に刺さらなければ自己満足なんだ。
これまでどれだけの自己満足で自分を苦しめただろう。もしかしたら周りの人を知らず知らずのうちに傷つけてやしないか、とも。
それでも、それでも、一所懸命に、刹那に頑張った。やってみた。初めからダメだと決めずにチャレンジして、こんなチャンスもうきっとしばらく無い!と決め込んで。今の私なりに、過去の自分と対峙して、やってみた。
結果、フラれました。
フラれるのは慣れることなく、いつも通りかなり凹む。あー、ああ言えば良かっただとかもっとやり方変えれば良かったとか、どんどん出てくる後悔。
でも、今の私、たくさんフラれてきたのに、こうして生きてきたではないか。それも楽しそうに生きている。そして、フラれた気持ちはちっとも忘れていないのにまた告白しに行っている。
これはきっと、フラれた後にイイことがあったからじゃないのかな。凹んでいた時間は長くても、いつの間にか笑ってフラれた話をしている。
きっと今回もイイことが待っている。いつの間にか、フラれることよりフラれる前に頑張った自己満足の方にフォーカスしている。そうだ!頑張ったんだからもういいじゃん。結果はその延長線上にしかないのだから。結果にこだわるより経過にこだわれる自分になりたい。なれている?!
その気持ちが少しでも今回の告白に役立ったならいいな。これから出会うイイことに期待したい。
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