試着を重ねたら溜め込んでいた服75着を手放すことができた
今回の記事、タイトルのまんまです。
試着についての記事はこちら
服を手放した件(一部)についての記事はこちら
上の記事にあるように、10着の服を寄付しました。
その後、スイッチが入ったのか、追加で服65着・バッグ3個・靴4足を処分することができました!(歓喜の涙)(まだまだ服たちはたくさんあるけれど)
マキシマリスト(好きなものに埋もれているのはうれしい)で溜め込みがちな私がこんなに手放せたのには訳があります。
もうタイトルでネタバレしていますが、試着を重ねたことでいろいろなことが見えてきたのです。
そうしたら、今持っている服に違和感感じまくり。
まだ着られるものもありますが、んなこたぁ知らん!とガンガン捨てることにしました。
LOVE PHANTOM!
さて、試着で見えてきたものって何なの?って話です。
まずはこれ。
ジャストサイズを着たい!
ナチュラル系のファッションも好きなんですが、サイズが大きめなことが多くて。
それはそれで楽なのですが、ボディシルエットが出るくらいのジャストサイズの服を試着してみたら、かなり気分がよかったんです。
何だか背筋がピーン!と伸びるような感じがしました。
タイトな服を着ると、気持ちも引き締まるのですね。
その緊張感が心地よかったのです。
ジャストサイズで着たい!ということは、サイズの大きな服はいらない!ということ。
その視点で自分のクローゼットを見てみると、あるわあるわ、でかい服。
なんでこんなにサイズのあわない服ばかりを買ってしまったんでしょうか……?
理由を考えていると、認めたくない事実に気づいてしまいました。
私って、買い物依存症なのかもしれない……。
膿み出しとして、買い物依存症エピソードの一つを綴ります。
とあるセレクトショップに入った時のことです。
店内をうろうろしていると、若い店員さんがついてくれました。
『若い店員さん』……。
これ、ヤバいパターンです、私。
若者の頑張っている姿を見ると、応援したくなってしまうのです。
その店員さんも、例に漏れず、気持ちのよい接客をしてくれました。
いい顔見せたいのか何なのか、それで買っちゃったんですよね。
安いとは言えない金額なのに。
買って喜んでくれる店員さんを見ると、私はとても満たされた気持ちになれました。
その瞬間のためにお金を使ったようなものです。
服自体は魅力的ではありましたが、正直、私のクローゼットにはあってもなくてもいい服でした。
そんな理由で購入したので、着る気にもなれず、一ヶ月後には捨ててしまいました。
捨てると無駄使いがなかったことにできるような気がしたのです。
店員さんの笑顔を見られているわけですから、目的は達成されていますしね。
……非常にまずいですね。
今振り返ると、その頃、生活環境が変わり、その激流についていけない毎日を送っていました。
私は買い物することでストレス解消していたのでしょう。
(他人の依存症を心配している場合ではなかった。)
こんな感じで買ってしまった服が何十着もあります。
中にはそこそこ着ているものもありますが、本当にその服を着たくて買ったものではないのです。
そんな服がクローゼットの多くを占めていると思うとぞっとします。
こうして、本当に着たい服をきちんと探して買いたいという気持ちが生まれました。
買わなくても店員さんに申し訳ないと思う必要はないということも、たくさんの試着を重ねて学ぶことができました。
(もちろん、買った方がうれしいでしょうが)
他に試着を繰り返して思ったことは、世の中には欲しいと思える素敵な服がたくさんある!ということ。
そう思うと、またこのテイストが着たくなるかもしれないし……ととっておいている服もいらないかもしれません。
だって、そのテイストが着たくなる頃には、新しい服もじゃんじゃん出ているわけですから。
欲深い私のことです。
どうせ新しい服が欲しくなっていることでしょう。
(どうしてもこれしかないという服はとっておこうかなと思いますが)わざわざ場所を取ってまでクローゼットに置いておく必要はないと思うようになりました。
最近思うのは、人生の残り時間は一秒一秒減っていっているわけなので、自分にとってどうでもいいことに時間や自分のエネルギーを費やしたくないということ。
どうでもいいことに邪魔されないで、好きなことだけ考えていたい。
好きなことだけに囲まれて生きていきたい。
それを達成するために必要な面倒なことは、しかたがないのでやりますが。
強靱なメンタルの持ち主ではないので、そのどうでもいいことに心乱されることはありますが、自分の人生に集中していきたいものです。